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恩賜(おんし)財団の表記


第4代総裁 
高松宮宣仁親王妃喜久子殿下
による御書


第2代総裁・閑院宮載仁親王殿下が芝病院を視察。2人置いて北里柴三郎
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済生会は明治天皇の「済生勅語(さいせいちょくご)」に基づき創設されました。勅語は天皇陛下が口頭で公的に述べられるお考えです。現在で言えば「おことば」に当たりますが、当時、国権は天皇陛下にあり、勅語はそのまま国の方針となりました。社会に増えた生活困窮者である「無告の窮民」に無償で医療を行い、それによって生(いのち)を済(すく)おうというのです。そうした活動をする団体を設け、長く困窮者の寄る辺とするようにと時の桂太郎総理大臣に命じ、その資金の一部とするよう私的なお金を下賜されたのです。
桂総理は当初、名称を天皇陛下からいただいたという意味の「恩賜財団(おんしざいだん)済生会」としておうかがいしました。しかし、天皇陛下は「済生の事業は天皇と国民が一緒になって行うのだから、皇室だけが先行するような恩賜財団は適当ではない」と、お許しになりませんでした。桂総理はいったん下がって、後日、「恩賜財団済生会」と「恩賜財団」を小さく2行に分けて組み文字にし、目立たないように表記することでやっとお許しがありました。
「済生」の意味は中国の古典に由来します。「済」は「すくう」で、「生」は「いのち」です。そして「生」はその語通り「命」ですが、同時に「民草=国民」の意味もあります。さらに「繁栄」の意味も込められています。つまり、「生」とは「国民の生命と繁栄」をさすのだと伝えられています。
皇室には代々、施薬(無償で薬を施すこと)救療(無償で治療すること)によって国民を救済する伝統があります。古くは、聖徳太子が難波(大阪)に建立された四天王寺に併設の「施薬院」「療病院」「悲田院」があり、代々、医療のみならず常に民草の生活を案じて慈恵救済を行ってきました。明治天皇の「済生勅語」も、その伝統の流れにありますが、さらに明治期に日本に入ってきた「慈善」という西洋の考え方を取り入れたのではないでしょうか。皇室の伝統に加え、「済生」を国民全体の活動にしていきたいとのお考えがあったことが、この表記のエピソードからうかがわれます。
戦後、済生会は財団から社会福祉法人に変わりましたが、明治天皇のお志を決して忘れないようにと、「社会福祉法人恩賜財団済生会」を正式名称としています。

(なお、このwebサイトではコンピュータの特性上、文字修飾が困難なため、本来の組み文字とせずに1行で表しています)

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