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済生春秋

第50回 簡素な生活

 不要な物を所有しない簡素な生活にあこがれている。でも、今日までなかなか実現できない。

 幼いころまわりはまだ戦争の傷跡が残っていた。公園の片隅に戦闘機の残骸が放置されていた。残っていた防空壕(ごう)は、子どもたちにとって興味の尽きない秘密基地だった。
 物が不足していた時代だったので、あらゆる物を大切にした。みかん箱に壊れた置時計や温度計、駄菓子屋で買った関取やプロ野球選手のブロマイドなどたくさんの宝物を詰めた。貴重品だった本は、繰り返して読んだ。イソップ物語は、文章をすべて記憶するまで反復した。この習慣が体に染みついた。

 買い物は、好きでない。デパートは海外旅行で土産物を買うときに利用するくらいだ。20年前にウランバートルに出張したときは、デパートが品数のそろった唯一の存在だった。品物が少ないので、私たちのグループだけで革製品の棚は、売り切れになった。先進国のデパートも、旅行客には便利だ。しかし、日本ではほとんど入らない。

 買い物をしないのに狭いマンションは、物であふれている。
 元凶は、本である。10年以上前までは、本をよく買った。それがたまって玄関まであふれた。家人の苦情を受けて、買わなくなった。最近、図書館が充実しているので、それで足りる。
 代わって増えたのは、資料である。論文執筆や講義のために資料を集める。小論文でも引用論文のコピー、調査統計、新聞や雑誌の切り抜きなど厚さ10センチくらいの山になる。執筆が終われば、捨てればよいけれど、苦労して集めた資料である。「また役に立つかも」と部屋の片隅に重ねる。これが膨大な山になる。
 役所からの書類のように重要なものが、この山に紛れ込む。1日に1回は探し物をしているだろうか。家族の最大のストレスになっている。

 あこがれは、砂漠を動く遊牧民のようにごく少数の持ち物に囲まれた簡素な生活である。政府は、デフレ脱却のために消費を勧めるが、買いたい物がない。
 古い本を繰り返して読む。戸外に出て自然の中を歩く。社会の底辺にいる人生に疲れ果てた人とたわいない会話を交わす。こんな生活だけで私は、十分に幸せである。

炭谷 茂

すみたに・しげる

1946年富山県高岡市生まれ。69年東京大学法学部卒業、厚生省に入る。自治省、総務庁、在英日本大使館、厚生省社会・援護局長などを経て2003年環境事務次官に就任。08年5月から済生会理事長。現在、日本障害者リハビリテーション協会会長、富山国際大学客員教授なども務めている。著書に「環境福祉学の理論と実践」(編著)「社会福祉の原理と課題」など多数。

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