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済生春秋

第56回 遠い記憶のかなた

 8月下旬、富山県高岡市のビジネスホテルに高岡法科大学の集中講義を行うため4泊した。
 高岡市は、私が19歳まで住んでいた。前田利長が加賀藩主を養子の利常に譲り、隠居するために開いた城下町である。鉄砲町、旅籠町(はたごまち)、呉服町など当時の住民の生業(なりわい)が分かる町名が残る。今日でも城下町の雰囲気が息づき、一昨年は、文化庁によって日本遺産に指定された。

 講義を終えて戻ってもホテルではすることがない。コンビニで買ってきた弁当でさっと夕食を済ますと、自分が学んだ小学校を訪ねてみたくなった。確か20歳になったときに同級生が学校に集まったのが訪れた最後だった。
 もう夏の終わり、8時過ぎにはすっかり暗くなっていた。どこの地方都市と同様に、歩行者と会うことは、滅多にない。東京であればジョギングの人が必ずいるが、ここでは不審者に間違われそう。
 60年前の記憶に従って歩いた。15分ほどで目的の場所に到着した。

 「こんなに駅から近かったのか」と感じた。歩行速度が速くなったわけでない。小学生時代は、生活のすべては学校で、完結した宇宙空間を作っていた。これが心理的に大きい存在にしていたのだろうか。
 昔はなかった立派な体育館は、住民がスポーツをしているようで明々としていた。校舎は、暗闇の中でよく分からなかったが、60年前の私の記憶とは全く異なった様相だった。

 最近、私は、自分のこれまでの人生を振り返るため、思い出の地をもう一度、訪ねたくなる。
 同じころ金沢市で済生会の会議があり、その夜は宿泊した。翌朝、市内を歩き回った。
 金沢は、新婚旅行で訪れた。新婚旅行といっても、その日に駅の観光案内所でホテルを見つけるという無計画なものだった。45年前の金沢は、落ち着いたたたずまいの城下町で、そんな気ままな旅の方が似合った。
 妻と一緒に訪れた当時の兼六園でも観光客は、多くなかった。尾山神社は、私たちだけだった。しかし、今は、にぎやかな国際的な観光都市に様変わりした。

 現実と記憶の姿の落差は、あまりにも大きい。私の人生は、記憶に残された姿のもので積み上げられ、形成されている。
 

炭谷 茂

すみたに・しげる

1946年富山県高岡市生まれ。69年東京大学法学部卒業、厚生省に入る。自治省、総務庁、在英日本大使館、厚生省社会・援護局長などを経て2003年環境事務次官に就任。08年5月から済生会理事長。現在、日本障害者リハビリテーション協会会長、富山国際大学客員教授なども務めている。著書に「環境福祉学の理論と実践」(編著)「社会福祉の原理と課題」など多数。

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