1-全体編 法人活動編
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23会長と理事長 本会は戦後、財団法人から社会福祉法人になって以降も、明治天皇の済生勅語にある「施薬救療」を法人の理念として掲げていた。「施薬救療」とは貧しい人々に無償で医療を施すことである。憲法25条に基づき生活保護法が制定され、生活困窮者への支援は国の責任で行われることになり、本会はそのうちの医療扶助について無料低額診療として実施することとなった。しかし、主に経営面での要請から病院は病院としての、福祉施設は福祉施設としての運営に力を注ぎ、法人全体として理念を体現するための積極的な方策を取ってきたとは言い難かった。このため、炭谷理事長は不適切事案対応策の一環として、また、目前に控えていた創立100周年を契機として「原点に返る」ことを本会施策の中心に据えた。それが平成22年度から始まった生活困窮者支援事業「なでしこプラン」だった。 無料低額診療は所得に応じて診療費を無料または減額する第二種社会福祉事業だが、「困窮」は金額のみで測れるものではなく、その態様も時代や社会の変遷に合わせ新しくなって現れてくる。本会には昭和初期、現在の医療ソーシャルワーカー(MSW)を日本で初めて病院に置き、患者の病の背景にある貧しい生活面にも目を向けて支援した経緯がある。「なでしこプラン」はその歴史を現在に再現し、全施設を挙げて大規模に展開する事業だった。 国は高齢社会を見据えた地域包括ケアシステムの構築を目指している。済生会はさらに発展させ、高齢者のみならず障害者や刑務所等出所者、ホームレス、居住外国人、ひとり親家庭、DV被害者、ひきこもりなど誰もが社会から疎外されずに安心して暮らせる独自の地域包括ケアシステムの構築をうたっている。その中心的な担い手として「済生会地域包括ケア連携士」の養成を図っているが、これも「なでしこプラン」の延長線上に位置づけられている。日本の福祉制度を変えた大改革 こうした諸施策の発想は炭谷理事長の半生によって培われたものだ。10代に社会福祉を志し、大学時代から貧困地域でボランティア活動。旧厚生省に入ってからもその活動を続け、在任中は「異色の官僚」と言われた。平成4、5年ごろ、生活保護受給世帯が戦後最低となり、済生会の所管官庁である厚生省内部では「貧困はなくなった。済生会

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