1-全体編 法人活動編
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24の役割は終わった」との意見が支配的になった。が、炭谷理事長はひとり「貧困はなくならない。新たなかたちの貧困の解決に向け済生会はむしろ拡充すべきだ」と論陣を張った。机上ではなく、現場感覚からの反論だった。 炭谷理事長は社会・援護局長時代、戦後のわが国の社会福祉の在り方を全面的に変えた「社会福祉構造改革」を手がけている。「措置から契約へ」。それまで国からの「施し」だった福祉を人権の視点から「サービス利用者の権利」としてとらえ直した、今日の福祉制度の基礎となった大改革だった。平成12年、その改革が法制化され、次は生活保護制度を受給者の立場からのものにしようとしたが、着手する前に環境省に異動した。だが、同年、英国政府の招待でイギリスを訪れた際、その後、済生会の施策とも密接に関係してくる考え方と出合う。障害者もホームレスも誰ひとり社会から排除されないという「ソーシャルインクルージョン(社会的包摂)」だった。戦後最大の組織改革 済生会は創立80年から10年ずつの長期事業計画を策定してきた。「基本問題委員会報告」と呼ぶ組織のマスタープランだ。炭谷理事長が担当したのは101年から110年までの「第四次報告」だが、第三次までは成果の検証や進しん捗ちょく状況の把握が行われてこなかった。炭谷理事長はこれを綿密に実行するため5年ずつに分けた中期事業計画の策定を指示。さらに各事業を具体的に進める「5カ年工程表」も作成し、毎年度末には達成度を公表してきた。この結果、「第四次報告」に盛り込まれた諸事業は高い達成率を見せた。令和3年には次の10年の長期事業計画策定に向けて「検討会」を設置した。 無料低額診療の不適切事案では、医療施設のコンプライアンス意識の希薄さに加え、法人としてのガバナンスの欠如が露呈した。済生会の困窮者への医療支援は長く国からの資金で行われてきたが、戦後はその資金が打ち切られ、施設それぞれの経営力に負うところとなったため、経営悪化の施設が追い込まれた事情が背景にあった。ただ、内実はそうであっても、外部から見れば法人は一つである。炭谷理事長は済生会の組織改革に乗り出し、定款を大幅に改正。それまで支部や施設でばらばらだった権限を支部単位に一本化し、理事長の権限の一

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