1-全体編 法人活動編
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66かった。交通網のまひによる物流途絶の可能性を考え、翌15日には、九州ブロックの他の拠点から飲料水や非常食を熊本病院へ搬送したものの、16日未明の本震により熊本地方はさらに甚大な被害を受けた。 本震発生直後から熊本病院には多数の患者が押し寄せた。即座にトリアージブースを設置して対応に当たったが、医療従事者の絶対数が不足。支援要請を受けた済生会本部は、同日5時38分に災害対策本部を設置。東日本大震災の教訓から、本部職員を現地調整員として派遣し、被災支部・施設と災害対策本部の連携体制を構築した。九州ブロックの病院は医師と複数名の看護師からなる診療救護班を編成し、当日のうちに熊本病院へ派遣。4月16日から5月31日までの46日間、45病院57チームが支援をつなぎ、延べ192人の医師・看護師が熊本病院やみすみ病院で診療支援を行った。 熊本福祉センターでは、グループホーム利用者の安全確保という課題に直面した。自閉症や発達障害をもつ施設利用者の中には一般的な避難所での生活に適応が難しいケースがある。慣れ親しんだ環境下での生活と福祉センター職員のサポートを集約するため、複数の施設利用者を一施設に集め、食堂を臨時の共同生活の場とした。余震が続き利用者の不安が募る一方、道路の寸断により参集できる職員の数は限られた。このため総合的にサポートする要員として、九州と中四国ブロックからDCATが派遣された。4月19日から5月9日までの21日間、10施設14チームが支援に入り、延べ27人が熊本福祉センターで活動した。DCATは東日本大震災後、済生会が日本で初めて組織した介護・福祉専門職員の災害派遣チーム。その初めての実働事例となった。 熊本地震の支援活動は、熊本病院への診療救護班の派遣終了日となった5月31日に完了した。同日に済生会本部に設置した災害対策本部も解散した。岩手台風水害 その3カ月後、台風第10号が8月30日17時30分ごろ岩手県に襲来。観測史上初めて東北地方太平洋側に直接上陸した台風となった。北海道や東北各地で記録的な大雨をもたらし、同県岩泉町では小本川の氾濫によりいたる所で道路が冠水し、岩泉町一帯は孤立した。

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