2-支部-施設編
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当院の歩み〒759-6302下関市豊浦町小串10007番3施設長/中司謙二 職員数/360 病床数/275設置年月日/平成12(2000)年7月1日診療科目/内、神、心、呼、消、循、小、外、整形、脳外、皮、泌、産婦、眼、耳、リハ、放、麻348側をピタコラム工法という異なる工法を取り入れた大規模な改修工事を行った。 工事費は約2億5,000万円、自己資金が1億円、1億5,000万円は補助金を活用できたが、その後の経営に少なからず影響があった。しかしながら安心安全な施設とするためには必要な投資であったと考えている。 工事は入居者の皆様を移動しながら行ったため、部屋の調整や新規利用者の中断などで大変な苦労をしたが、皆様方のご協力により何とか工期内に完了することができた。    さて、時代は令和となり、耐震改修工事による利用者減の影響もやっと収まったころ、世界に脅威を与えた新型コロナウイルスが猛威を振るうことになり、地域との運動会や夏祭りなど各種行事が中止となった。 幸いにも日本では10月以降新型コロナウイルスが終息傾向にあり、入居者とご家族の窓越し面会も再開されることになり、早く以前の状況に戻ることができるよう祈るばかりである。 一昨年からやまぐち子育て応援企業やイクメン企業、誰もが活躍できる山口の企業にも認定され、働きやすい職場づくりを目指すとともに、施設の建て替えを視野に入れ、経営の安定と更なる努力を行い、不易流行の精神で頑張っていく。豊浦病院 当院施設は、昭和19(1944)年6月、広島陸軍第一病院小串転地療養所として当地に開設され、国立療養所を経て国立山口病院となり、当地域唯一の総合病院として地域医療を支えていたが、平成12(2000)年7月、下関市街にある国立下関病院と統合が決まり、国立山口病院が廃止となった。廃止決定後、地域住民から総合病院の継続を願う熱い思いを受け、旧国立山口病院が豊浦町に経営移譲、管理・

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