2-支部-施設編
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福岡県38524(2012)年12月に当院の都合で突如白紙撤回となり、地元の信頼が失墜した。 平成25(2013)年6月より私、北村昌之が院長となった。赴任時は、前院長や院長代理を含め救急医療センター医師全員、さらに当院のブランドである腎センター副院長も退職していた。赴任時、たまたま乗り合わせた、私の立場を知らないタクシーの運転手が、「済生会病院はもうすぐ潰れるらしい」と、話してくれた。その状況に追い打ちをかけるように、1カ月後の7月には、副院長を含む内科医全員が、また、整形外科の副院長も辞職する事態となった。沈没寸前の船のようであった。 この10年は、病院存続の危機から脱出し、再建の途に就く期間だった。4年間で60億円近くを費やしたにもかかわらず、借金がなかったことは、幸運だった。平成25(2013)年12月より医薬分業による院外処方、翌26(2014)年より緩和ケア病棟、高齢者急性期ケア病棟(地域包括ケア病棟)を新設した。平成27(2015)年電子カルテ導入、血管外科新設、回復期リハビリテーション病棟を開設した。この中で、最も力を入れたのが高齢者急性期ケア病棟である。これから迎える高齢社会に対応する病棟だ。ここでは、高齢者が急性期疾患になって入院治療しても、認知症が進まない、寝たきりにならないで、元の生活に戻れることを目標とする病棟である。 経営面では、1年目の平成25(2013)年度は8億円超の赤字、26(2014)年度は3億円の赤字、27(2015)年度はほぼ赤字の解消ができた。以後経営は徐々に安定し、令和元(2019)年度は3億円を超える黒字を計上することができた。最も難題なのは、「病院は働く者のために存在し、患者は二の次である」という、長い間染みついた風土と組織の改革である。やっと、その糸口が見え始めてきたが、長い冬のトンネルを脱出するまでに至っていない。一方、病院のリーダーである医師、特に内科医の不足はいまだ解消していない。最重要課題である大学からの安定的医師の派遣は、もう一歩のところまで来ていると思うが、実績としてはまだ見えていない。 現在の病院は築50年以上経過し、耐震に問題を抱え、8km離れた場所に新築移転することになった。平成28(2016)年から計画を開始し、令和2(2020)年4月土地の開発工事を開始、令和4(2022)

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