2-支部-施設編
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沿革東日本大震災、福島第1原発事故新型コロナウイルス感染症54市の東南21.5kmの県都周辺の主要な地区拠点として存立する。美しい自然と豊かな風土に恵まれ、古くから「絹の里」と呼称され、その始まりは遠く平安時代といわれる。絹のまち川俣の歴史を伝える「織物展示館」や、織物体験・染物体験ができる「からりこ館」など、伝統文化を伝える施設などがある。 昭和18(1943)年に日本医療団川俣病院(75床)として発足、昭和24(1949)年、福島県立川俣病院となり、昭和45(1970)年に済生会に移管され、済生会川俣病院として、診療科、内科、外科、整形外科、小児科で100床の一般病院としてスタート。平成11(1999)年10月現在地に新病院が完成した。一般病床45床、医療療養病床45床に転換し眼科を新設した。平成12(2000)年在宅介護支援センターを開設、平成17(2005)年泌尿器科を開設し、平成18(2006)年から人工透析(15台)をスタートした。同年に医療療養から障害者病床45床に転換。平成22(2010)年皮膚科開設。 平成24(2012)年、医療介護6施設5事業所を統轄する機関として「済生会川俣地域ケアセンター」設置。 平成27(2015)年循環器科開設、病棟編成を現在の地域包括ケア病棟45床、障害者施設等病棟45床に変更。 平成30(2018)年、電子カルテシステムの導入。令和2(2020)年透析支援システム「Future Net」を導入し質の高い医療を提供するため福島医科大学腎臓内科と遠隔診療開始。 平成23(2011)年3月11日東日本大震災、東京電力福島第1原子力発電所の事故が発生し、福島県は甚大な被害を受けた。川俣町は、福島第1原発から47km、川俣町山木屋地区は33kmに位置する。住宅やライフラインも破壊され、更に大量の放射性物質が放出され避難生活を強いられた。 川俣病院の職員は、自らも被災者でありながら避難者の受け入れや避難所への訪問など最前線で懸命に活動した。診療圏である飯舘村、山木屋地区は平成28(2016)年10月避難解除になり帰還が始まったが、帰還する住民は少なく、現在も病院の患者数の減少に大きく影響している。 新型コロナウイルス感染症受け入れ病院として、令和2(2020)年3月6日付で帰国者・接触者外来指定を受け、県内の患者を受け

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