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ミャンマー連邦におけるサイクロン災害に関する緊急援助

樹上に一晩避難の妊婦…胎動を確認できた!! 千里病院千里救命救急センター 京極 多歌子

 皆さんは、ミャンマー連邦という国をご存知でしょうか。1990年までの名称は「ビルマ」、東南アジア・インドシナ半島に位置し、中国、ラオス、タイ、バングラデシュ、インドと国境を接しています。

 その国を今年5月2日から3日にかけて大型のサイクロンが襲い、南部のデルタ地帯を中心に死者、行方不明者は10万人を超し、被害地域はデルタ地帯の約80%に及ぶという惨事となりました。

  そのデルタ地帯エヤワディ管区のラブッタという、最も被害の大きかった地域に私の登録する国際緊急援助隊の医療チームが派遣されました。派遣要請が5月27日午後8時半、派遣決定が深夜の28日午前0時。その日の午後には東京でのブリーフィング、成田での結団式を終え、ミャンマーに入国したのは29日の午後7時ごろでした。

 被災地ラブッタまでは、ヤンゴンから約13時間かけて悪路を移動、現地に到着したのは30日の日没後でした。現地の情報が全くなかったうえ、気温は40度、湿度は80%を上回る劣悪な環境で蚊、ハエが大量に発生していました。提供された宿舎はとても狭く、医療チームの23名、現地通訳やドライバーを合わせ総勢40名の簡易式ベッドが設置できるスペースがやっとの広さでした。それでも、そんな環境の中で私たちは9日間、寝食をともにしました。現地キャンプでの診療者数は1200名を超え、臨床検査、放射線撮影、水質・生活調査なども行うことができました。

  家を失い家族も行方不明という被災者が、キャンプでの避難生活を過ごしていました。私たちの活動は、朝8時から夕方3時ぐらいまでで、朝のテント前には、長蛇の列が出来ていました。疾患は感染症が目立ち、肺結核、インフルエンザ、デング熱、マラリアを疑う被災者が多くを占めました。また、大きな精神的ダメージから不眠、不安を訴える被災者、生きる力を失いつつある被災者の生の声が多く聞こえてきました。しかし一方で、一晩木の上に避難していた妊婦さんが診察にこられ、超音波エコーで胎動を確認できたときは、テント内が歓喜に満たされ活気付いたことを覚えています。

 そのような中、日を追って被災地にも活気が出てきました。米や食糧の配給に加え、バナナや野菜を売りに来る商人やタバコ屋さんまで現れました。気候は雨期に入り、土砂降りの雨が降ることもありましたが、被災者のたくましく生きていく姿が印象的でした。

 9日間の診療活動の結果をミャンマー連邦保健大臣に報告後、帰国の途に着き6月11日、成田に無事帰国しました。

 災害は突然、やってきて多くのものを襲い、人々の大切なものを奪います。私は、その被災者に医療を通して、何かの役に立ちたいと思い、この活動を続けています。過酷な環境でしたが、満天の星空に見た天の川、南十字星の輝きが今でも眼に焼きついています。2週間協働した仲間に感謝、私を送り出してくれた職場の皆さんに感謝。そして、たくましく生きていこうとする被災者のパワーに、心救われた活動でした。