小島 慶子 さん
1972年生まれ、オーストラリア出身。父の転勤により、幼少期はシンガポールや香港でも生活。1995年、TBSに入社。アナウンサーとしてテレビ、ラジオに出演。1999年に第36回ギャラクシーDJパーソナリティー賞を受賞。2010年に独立。メディア出演のほか、『VOGUE JAPAN』『講談社mi-mollet 』『日経ARIA』など連載多数。自身の経験をもとにした執筆や講演活動について「人生の戦場リポート」と位置づけ、多くの人の共感を呼んでいる。
幼少期をシンガポールや香港で過ごした小島慶子さん。ドキュメンタリー制作に興味を持ったことからテレビ業界を志し、1995年にTBSに入社。“若手女性アナウンサー像”に疑問を抱いたことで葛藤もあったが、ラジオの仕事を通し、放送が持つ力を実感したという。小島さんの仕事観に一貫する軸、その思いに迫る。
父の転勤先のオーストラリアで3歳までを過ごし、7歳でシンガポール、8歳で香港へ。当時は、帰国子女が珍しかった時代。周囲と馴染(なじ)めないこともあった小島さんにとっての楽しみが、テレビとラジオだった。「我が家は、夜10時以降はテレビ禁止。それ以降は部屋でラジオを聞いていました。ラジオの向こうにだけは、私をくだらないことで笑わせてくれる大人がいっぱいいたんです。親とも先生とも、友達ともうまくいかず、世の中全部消えてなくなればいいのにと思っていたけど、ラジオを聞いているときだけは、世の中を信じることができた。それで生きつないだところがありました」
高校時代、ドキュメンタリー制作に興味を持ち、テレビの世界へ。「どういう情報を流すかによって、世の中は良くも悪くもなる。世の中を少しでも明るくできたら」。そんな思いとは裏腹に、求められたのは若くて華やかな女のコらしさ。違和感を覚えた小島さんは、求められる“若手女性アナウンサー像”に馴染めず、仕事は減少したが、信頼する上司がラジオの仕事を探してくれた。リアルタイムで届く反響に、「放送というものは、本当に人に届いているんだ」と感じたという。「リスナーがいろいろな思いを打ち明けてくれるんです。大切にしなくてはと思いました」
「万人に好かれなくてもいい。『今日は小島さんの番組が面白かったから、ひとまず生きてよかった』と、たった1人が思ってくれたら十分」と小島さん。現在はメディア出演のほかにも、執筆や講演を通し、自身の経験を伝えている。必要としている、“誰か”に届くと信じて。それを続けることが、「世の中を少しでもマシにする役に立ちたい」という願いに通ずると希望を持って。今日も、言葉を伝え続ける。
文:新亜希子 写真:吉川信之(機関誌「済生」2025年6月) ヘアメイク:中台朱美
大倉集古館の入口に立つ金剛力士像の前で
2024年12月、大倉集古館の「特別展 志村ふくみ100歳記念」にて。


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