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済生春秋

第66回 元号で歴史を見る

 年を考える時は元号派?それとも西暦派?
 若い世代は、年を西暦で考える人が多い。高齢になれば、元号派が増える。私は、完全な元号派である。西暦で〇〇年と言われても、頭の中で平成時代であれば88を引いて元号に直して考える。
 先日、警察庁は、来年3月ごろから運転免許証の有効期限表記を元号から西暦に変更する方針を発表した。外国人の免許所有者が多くなったためだ。国民にも西暦派が多くなったこともあるだろう。

 学校の日本史では明治維新以前は西暦、それ以降は元号で勉強した。鎌倉幕府成立の1192年は、「イイクニに作る鎌倉幕府」と覚えた。
 明治以降はそれぞれの時代のイメージが、元号と結びつく。明治は近代国家の形成、大正はデモクラシーの発展という具合。
 昭和以降になると自分の人生と重なる。昭和は、国民全員ががむしゃらに頑張ったが、私も自分の夢を求め、もがいていた。平成は国民の意識が多様化したが、私は自分の道を黙々と歩いていた。

 私は、これまで江戸時代以前の元号については、関心がなかった。
 先ごろ気象庁は、富士山が1707年(宝永4年)の噴火と同規模で今日発生した場合の降灰のシミュレーションを発表した。この噴火は、宝永噴火と称され、火山灰が江戸全体覆う大きい規模だった。
 噴火の影響は長く続いたので、江戸の人にとって宝永時代のイメージは、富士山噴火と切り離せなかっただろう。

 これまで231の元号があったが、調べてみると、歴史の中で自然と覚えている元号が案外多い。例えば、「大宝律令」「天平文化」「応仁の乱」などである。
 そこで最近、私は「大化」からの元号を歴史的事実と結びつけて覚えることを試みている。
 江戸時代であれば、「慶長地震」から始まり、「元和偃武(えんぶ)」「寛永通宝」「慶安の御触書」「承応の変」「明暦の大火」「寛文事件」(伊達騒動)「延宝地震」「天和の大火」(八百屋お七の放火)「貞享暦」「元禄文化」「宝永噴火」「正徳の治」と続く。
 なかには「承応の変」のようになじみの薄いものや「正保」「万治」のように適当なものが見つからなかったものもあった(長野県下諏訪町に「万治の石仏」はある)。
 元号は、時代の雰囲気を伝えてくれる。元号を主体に日本史を学び直すと、一層、親しみが湧いてくる。
 

炭谷 茂

すみたに・しげる

1946年富山県高岡市生まれ。69年東京大学法学部卒業、厚生省に入る。自治省、総務庁、在英日本大使館、厚生省社会・援護局長などを経て2003年環境事務次官に就任。08年5月から済生会理事長。現在、日本障害者リハビリテーション協会会長、富山国際大学客員教授なども務めている。著書に「環境福祉学の理論と実践」(編著)「社会福祉の原理と課題」など多数。

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