社会福祉法人 恩賜財団 済生会(しゃかいふくしほうじん おんしざいだん さいせいかい)社会福祉法人 恩賜財団 済生会(しゃかいふくしほうじん おんしざいだん さいせいかい)

済生春秋 saiseishunju
2024.12.09

第142回 晩秋の韓国

 想像したよりも暖かだった。日本と同じスーツで十分だった。アメリカ人だろうか観光客には半袖姿の人もいた。

 「非常戒厳」による混乱前の11月中旬だったか、4度目の、妻と一緒の韓国旅行である。最初は、18年前の12月中旬で環境省事務次官のとき、韓国の大学から福祉に関する講演依頼だった。妻の同伴歓迎ということだった。イギリスからの研究者も同伴だった。
 このときは本当に寒かった。日本から着てきた薄いコートでは寒さが、痩せた体にしみた。公園を歩くと、真っ赤に色づいた葉がひらひらと舞い落ち、美しかった。

 4度とも福祉関係の仕事だった。妻は社会福祉士なので、関心を持っていた。仕事の方は、十分に成果はあった。
 しかし、今回の旅行は、18年前とは様変わりだ。韓国社会の変化が激しい。ソウルは、高層ビルの建設ラッシュだ。住宅やオフィス需要が大きいためだが、マンション価格が日本よりも高く、一般のサラリーマンは、手が届かない。所得格差の拡大は、日本以上だろう。

 出生率の低下も大きく、人手不足は深刻だった。それだけDXが進み、空港や駅さえ職員の姿は、まばらだった。
 私は、フィッシング詐欺被害や使い過ぎの心配から日本ではカードを使わない。韓国はキャッシュレス社会だと聞かされたので、会費無料のクレジットカードをさらに一つ契約して準備した。
 空港からのタクシー、コンビニでの買い物、レストランでの食事すべてがカード払い。サインで本人確認をするので、不正使用は心配ないとは感じたが、旅先で気持ちが大きくなるのは、やはり心配だった。
 レストランでは注文から配膳まで人が介在しない。最近の日本でも同様だというが、外食をしない私は、最近のレストラン事情を韓国で教えられた。

 20代のころのヨーロッパ各地のひとり旅は、「なんでも学んでやるぞ」という前向きな態度だった。突発的な事態も楽しむように対処した。しかし、今はそのような気持ちになれない。
 今回も歩き疲れ、ベンチに腰掛け、ほっとした。後ろに寄りかかると、背もたれがない。ドスンと背中から落ちてしまった。後頭部は打たなかったが、尾てい骨を強打した。帰国後は1週間ほど痛かった。環境の変化で疲れ果て、注意力が散漫になったためだ。
 でも韓国への旅は、失敗も含めて楽しい思い出を残した。 

炭谷 茂

すみたに・しげる

1946年富山県高岡市生まれ。69年東京大学法学部卒業、厚生省に入る。自治省、総務庁、在英日本大使館、厚生省社会・援護局長などを経て2003年環境事務次官に就任。08年5月から済生会理事長。現在、日本障害者リハビリテーション協会会長、富山国際大学客員教授なども務めている。著書に「環境福祉学の理論と実践」(編著)「社会福祉の原理と課題」など多数。

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