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済生春秋

第1回 桂太郎の願い

 昨年末、桂太郎の曾孫に当たるSさんから手紙をいただいた。私の講演をどこかで聞かれたという。
 私は最近、講演で「日本社会の底が割れている」と警告している。若いホームレスの出現、都市で孤立死する高齢者、社会復帰が困難で再犯を繰り返す刑務所出所者など、日本社会は病んでいる。これに対する社会の体制が整っていない。問題は、増大する一方。設立して102年目を迎える済生会は、このような問題に対して正面から取り組んでいく覚悟である。
 Sさんの手紙には、同様に日本社会の現状を憂い、曾祖父の遺志を継承してほしいと結んであった。最近出版された千葉功著「桂太郎」(中公新書)が同封されていた。 

 桂太郎の墓は、私の自宅から歩いて25分ほどの近距離にある。近辺には豪徳寺、太子堂など歴史的な建物がある。いつ散歩しても楽しい。桂の遺言で墓は、松陰神社に隣接して建てられた。郷里・萩の偉人、吉田松陰を崇拝し、後ろ姿を追い続けた。桂は、松陰から直接薫陶を受けてはいないが、叔父が松陰のスポンサーであるなど関係は深かった。
 松陰の「士規七則」は、私の座右の銘である。平成9年に某月刊誌にこれを題材に松陰論を5回、連載した。桂も「士規七則」を勉強したに違いない。彼の人生の歩みは、「士規七則」に沿っている。強烈な祖国愛、正義の重視等々。

 済生会は、明治天皇の発意によって設立された。明治44年2月11日に天皇から命を受けた桂太郎は、設立に向けて資金集めに奔走した。総理大臣であっても必要な資金を民間からの善意で得るには膨大なエネルギーを要した。
 桂は、初代の済生会会長に就任、大正2年に亡くなるまで晩年の2年余、済生会の発展に情熱を傾けた。日露戦争後の生活困窮者の状況を憂えた。自分の人生を投入して築いた明治近代国家の基盤が崩れるのを恐れた。
 問題が違っても、済生会の使命は、102年前と同じほど重い。

炭谷 茂

すみたに・しげる

1946年富山県高岡市生まれ。69年東京大学法学部卒業、厚生省に入る。自治省、総務庁、在英日本大使館、厚生省社会・援護局長などを経て2003年環境事務次官に就任。08年5月から済生会理事長。現在、日本障害者リハビリテーション協会会長、富山国際大学客員教授なども務めている。著書に「環境福祉学の理論と実践」(編著)「社会福祉の原理と課題」など多数。

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