済生会は、明治天皇が医療によって生活困窮者を救済しようと明治44(1911)年に設立しました。100年以上にわたる活動をふまえ、日本最大の社会福祉法人として全職員約66,000人が40都道府県で医療・保健・福祉活動を展開しています。
済生会は、405施設・437事業を運営し、66,000人が働く、日本最大の社会福祉法人です。全国の施設が連携し、ソーシャルインクルージョンの推進、最新の医療による地域貢献、医療と福祉のシームレスなサービス提供などに取り組んでいます。
主な症状やからだの部位・特徴、キーワード、病名から病気を調べることができます。症状ごとにその原因やメカニズム、関連する病気などを紹介し、それぞれの病気について早期発見のポイント、予防の基礎知識などを専門医が解説します。
全国の済生会では初期臨床研修医・専攻医・常勤医師、看護師、専門職、事務職や看護学生を募集しています。医療・保健・福祉にかかわる幅広い領域において、地域に密着した現場で活躍できます。
一般の方の心身の健康や暮らしの役に立つ情報を発信中。「症状別病気解説」をはじめとして、特集記事や家族で楽しめる動画など、さまざまなコンテンツを展開しています。
1972年生まれ、オーストラリア出身。父の転勤により、幼少期はシンガポールや香港でも生活。1995年、TBSに入社。アナウンサーとしてテレビ、ラジオに出演。1999年に第36回ギャラクシーDJパーソナリティー賞を受賞。2010年に独立。メディア出演のほか、『VOGUE JAPAN』『講談社mi-mollet 』『日経ARIA』など連載多数。自身の経験をもとにした執筆や講演活動について「人生の戦場リポート」と位置づけ、多くの人の共感を呼んでいる。
父の転勤先のオーストラリアで3歳までを過ごし、7歳でシンガポール、8歳で香港へ。当時は、帰国子女が珍しかった時代。周囲と馴染(なじ)めないこともあった小島さんにとっての楽しみが、テレビとラジオだった。「我が家は、夜10時以降はテレビ禁止。それ以降は部屋でラジオを聞いていました。ラジオの向こうにだけは、私をくだらないことで笑わせてくれる大人がいっぱいいたんです。親とも先生とも、友達ともうまくいかず、世の中全部消えてなくなればいいのにと思っていたけど、ラジオを聞いているときだけは、世の中を信じることができた。それで生きつないだところがありました」
高校時代、ドキュメンタリー制作に興味を持ち、テレビの世界へ。「どういう情報を流すかによって、世の中は良くも悪くもなる。世の中を少しでも明るくできたら」。そんな思いとは裏腹に、求められたのは若くて華やかな女のコらしさ。違和感を覚えた小島さんは、求められる“若手女性アナウンサー像”に馴染めず、仕事は減少したが、信頼する上司がラジオの仕事を探してくれた。リアルタイムで届く反響に、「放送というものは、本当に人に届いているんだ」と感じたという。「リスナーがいろいろな思いを打ち明けてくれるんです。大切にしなくてはと思いました」
「万人に好かれなくてもいい。『今日は小島さんの番組が面白かったから、ひとまず生きてよかった』と、たった1人が思ってくれたら十分」と小島さん。現在はメディア出演のほかにも、執筆や講演を通し、自身の経験を伝えている。必要としている、“誰か”に届くと信じて。それを続けることが、「世の中を少しでもマシにする役に立ちたい」という願いに通ずると希望を持って。今日も、言葉を伝え続ける。
文:新亜希子 写真:吉川信之(機関誌「済生」2025年6月) ヘアメイク:中台朱美
大倉集古館の入口に立つ金剛力士像の前で
2024年12月、大倉集古館の「特別展 志村ふくみ100歳記念」にて。
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