社会福祉法人 恩賜財団 済生会(しゃかいふくしほうじん おんしざいだん さいせいかい)社会福祉法人 恩賜財団 済生会(しゃかいふくしほうじん おんしざいだん さいせいかい)

2025.06.03

小島 慶子 さん

小島 慶子 さん

1972年生まれ、オーストラリア出身。父の転勤により、幼少期はシンガポールや香港でも生活。1995年、TBSに入社。アナウンサーとしてテレビ、ラジオに出演。1999年に第36回ギャラクシーDJパーソナリティー賞を受賞。2010年に独立。メディア出演のほか、『VOGUE JAPAN』『講談社mi-mollet 』『日経ARIA』など連載多数。自身の経験をもとにした執筆や講演活動について「人生の戦場リポート」と位置づけ、多くの人の共感を呼んでいる。

幼少期をシンガポールや香港で過ごした小島慶子さん。ドキュメンタリー制作に興味を持ったことからテレビ業界を志し、1995年にTBSに入社。“若手女性アナウンサー像”に疑問を抱いたことで葛藤もあったが、ラジオの仕事を通し、放送が持つ力を実感したという。小島さんの仕事観に一貫する軸、その思いに迫る。

父の転勤先のオーストラリアで3歳までを過ごし、7歳でシンガポール、8歳で香港へ。当時は、帰国子女が珍しかった時代。周囲と馴染(なじ)めないこともあった小島さんにとっての楽しみが、テレビとラジオだった。「我が家は、夜10時以降はテレビ禁止。それ以降は部屋でラジオを聞いていました。ラジオの向こうにだけは、私をくだらないことで笑わせてくれる大人がいっぱいいたんです。親とも先生とも、友達ともうまくいかず、世の中全部消えてなくなればいいのにと思っていたけど、ラジオを聞いているときだけは、世の中を信じることができた。それで生きつないだところがありました」

 高校時代、ドキュメンタリー制作に興味を持ち、テレビの世界へ。「どういう情報を流すかによって、世の中は良くも悪くもなる。世の中を少しでも明るくできたら」。そんな思いとは裏腹に、求められたのは若くて華やかな女のコらしさ。違和感を覚えた小島さんは、求められる“若手女性アナウンサー像”に馴染めず、仕事は減少したが、信頼する上司がラジオの仕事を探してくれた。リアルタイムで届く反響に、「放送というものは、本当に人に届いているんだ」と感じたという。「リスナーがいろいろな思いを打ち明けてくれるんです。大切にしなくてはと思いました」

 「万人に好かれなくてもいい。『今日は小島さんの番組が面白かったから、ひとまず生きてよかった』と、たった1人が思ってくれたら十分」と小島さん。現在はメディア出演のほかにも、執筆や講演を通し、自身の経験を伝えている。必要としている、“誰か”に届くと信じて。それを続けることが、「世の中を少しでもマシにする役に立ちたい」という願いに通ずると希望を持って。今日も、言葉を伝え続ける。

文:新亜希子 写真:吉川信之(機関誌「済生」2025年6月) ヘアメイク:中台朱美

大倉集古館の入口に立つ金剛力士像の前で

大倉集古館の入口に立つ金剛力士像の前で

202412月、大倉集古館の「特別展 志村ふくみ100歳記念」にて。展示されていた志村ふくみ氏と石牟礼道子氏の交流から生まれた新作能「沖宮」の装束の美しさに感銘を受けた。纏(まと)ったのは能楽師・金剛龍謹氏。偶然にも今年2月から小島さんは金剛龍謹氏のもとで、仕舞と謡を習うことに。他にも「子育ての手が離れ、最近、香道のお稽古を始めた。30年ぶりに再開した茶道の勉強も楽しい」と話す。

小島 慶子 さん


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