社会福祉法人 恩賜財団 済生会(しゃかいふくしほうじん おんしざいだん さいせいかい)社会福祉法人 恩賜財団 済生会(しゃかいふくしほうじん おんしざいだん さいせいかい)

スマトラ沖大地震・インド洋津波災害 (スリランカ、タイ、インドネシア)に関する緊急援助(1)

『国際救援活動に参加して』

済生会八幡総合病院 腎センター 大野晃子

(1) 当院におけるJICA、AMDAなどへの取り組み状況などを紹介

 当院ではJICAの国際緊急援助隊医療チーム(JMTDR)に看護師2名、薬剤師1名が登録しており、2001年1月のエル・サルヴァドル地震災害時にJMTDRとして看護師1名が派遣となった。このように災害が起きてJMTDRの派遣要請があるとそれに対して最大限応えられるように日頃から職場の同僚へJMTDRの派遣に参加する意志を伝えている。また、登録者自身も派遣に備えて、JMTDRが主催する年3回開催される中級研修に積極的に参加している。

(2) 活動への登録、参加を思い立ったきっかけ

 国際緊急援助隊医療チーム(JMTDR)に臨床薬剤師という特殊な職種がどのように貢献できるかを試すことが登録のきっかけとなった。
 2000年の夏、病院の各部署にJMTDRの登録書類が配布された時にこれだと思った。以前から海外青年協力隊などに興味はあったのだが、語学力に自信がなく諦めていた。しかし、一生に一度は海外で何らかの形で働いてみたいと強い願望を持ち続けていたので、このJMTDRは私にとって絶好のチャンスであった。臨床現場に身を置く私としては、職種を超えた医療チームで災害地へ医療貢献するJMTDRにとても魅力を感じていた。
 しかし、正式に登録された後の研修を重ねていくに従い、自分の甘い考えや知識不足ひいては臨床での経験不足をひしひしと感じるようになってきた。そこで、派遣の時に役立つ知識や経験などを想定した中級研修を積極的に受講することと腎センターでの服薬指導の経験を生かすことでJMTDR派遣に備えることにした。

(3) 被害発生から現地行きまでの様子

 2004年12月26日午前8時過ぎ(日本時間26日10時過ぎ)、インドネシア・スマトラ島沖においてマグニチュード9.1の大規模な地震が発生し、津波は時速700km/時間の速度で沿岸に押し寄せ、4時間後にはスリランカ東海岸を襲った。スリランカの東部、西部、南部の沿岸地域が津波により被災した。当日にクマーラトゥンガ大統領が国家災害非常事態を宣言するとともに首相官邸に緊急対策本部を設置し、国際社会に対し緊急援助の支援をいち早く要請した。日本時間19時時点において死者1500人以上、被災者・避難者数70万人から100万人との報告がなされた。日本政府は翌27日にスリランカ津波災害の国際緊急援助隊医療チーム(JMTDR)1次隊を派遣した。JMTDR1次隊が活動開始したところ、災害に直接起因する切り傷などの診療や緊急処置が多い点と被災国の医療機関の復帰状況が遅れている点より、被災者の診療ニーズを満たすためにはかなり長期間の活動が必要と判断され、2005年1月5日にJMTDR2次隊が結成された。私は2次隊の薬剤管理担当として参加することになった。
 JMTDR2次隊は団長1名、副団長2名(医師と業務調整員が兼任)、医師4名、看護師7名、薬剤師1名、医療調整員5名、業務調整員4名の編成であったが、1次隊からは引き継ぎも兼ねて副団長と業務調整員の2名が残り、合計24名で構成された。
 1月5日の午前11時10分に成田空港を出発してシンガポールを経由したのち、午後9時にコロンボ国際空港へ到着してただちにコロンボ市内のホテルにて初回のスタッフミーティングが開かれた。そこでは日本大使館関係者よりスリランカで津波による被害状況と保健栄養省の資料から国内の疾病と死因などの説明があり、次にJICA関係者よりJMTDR1次隊の活動の概要が説明された。翌日の6日に島の東部に位置するアンパラ県カルムナイ地区へ向け出発し、陸路で約11時間かけて目的地に着き警察関係の施設を宿営地とした。
 診療所はJMTDR1次隊が既に宿営地から約25km離れたアンパラ県カルムナイ地区のAl-Hilal小学校の一部を借りて設置しており、2次隊はその後を引き継いで7日の午前9時より診療を開始した。

(4) 現地での活動について

 診療活動時間は患者受付を午前9時から午後2~3時までとし、診療が午前9時より午後5時で終了するようにして午後5時30分には帰隊した。診療活動日数は1月7日から開始して1月15日の午前中までの8.5日間行った。1日平均で新規患者は122名、再診患者は34名であった。主な疾患は災害時の切り傷や打撲などの外傷、急性呼吸器疾患や慢性的な皮膚疾患であった。JMTDR1次隊ののべ患者数は927名であったが、2次隊の患者数は1322名と増加し、スリランカにおける1次隊と2次隊のJMTDRはのべ患者数2249名の診察と治療を行うことによりかなりの成果をあげたと考えている。
 薬剤師としての仕事は主に調剤業務と服薬指導であるが、JMTDRの薬剤師はそれ以上の役割を担う必要があると考えられた。その他の役割とは薬局をサポートしてくれた看護師へ調剤業務と服薬指導の教育、医師と処方設計の協議、診療の幅を広げる医薬品情報の提供、医薬品の在庫管理と現地調達、引き継ぎの医療チームへ残薬リストの作成や隊員の健康管理などで、これらすべてがJMTDRの薬剤師に求められた。具体的には看護師の1人を薬局担当に任命し、薬局担当看護師が調剤業務と服薬指導についての経験を積むことで、薬剤師が不在の日にも薬局業務に支障がないように努めた。処方設計については日本人とスリランカ人の体格の違いやコンプライアンスを考慮して医師とあらかじめ協議をしたことを調剤業務に役立てた。また、JMTDR1次隊が未使用で残していった医薬品の適応症や用法用量を医師へ情報を提供することで医薬品が不足する中でも診療の幅を広げることに役立てた。非ステロイド抗炎症薬、鎮咳薬や抗ヒスタミン軟膏などの不足した医薬品は日本大使館へ補充を依頼するとともに現地の薬局で購入した。さらに、今回は引き継ぎが日本(HuMA)とアメリカ(North West International Medical Team)のNGO団体で結成された合同医療チームであり、かつ薬剤師がいないために薬効分類や成分名などを詳しく記載した残薬リストを作成した。隊員の健康管理はチーフ看護師が責任者となり、薬剤師は抗マラリア薬の服薬指導を行い、かつ総合ビタミン薬を配布しながら各隊員の体調の情報収集をした。
 診療最終日15日の昼過ぎに医療資機材リストと「薬品引き継ぎリスト2005」を合同医療チームに引き渡し、診療所を設置したAl-Hilal小学校にも机や椅子の贈呈を行い、約15日間のスリランカJMTDR1次隊・2次隊の診療活動を終了した。
 翌16日の早朝に宿営地を出発し、途中キャンディという山間の都市で昼食休憩をしながらコロンボに向い、この日はコロンボ市内のホテルに一泊した。
 帰路の飛行機はコロンボ国際空港を18日の深夜1時の便であったので、前日の夕方に日本大使館へ出向いてJMTDR2次隊の援助活動の報告を行った。
 深夜1時にコロンボ国際空港を出発して、シンガポールを経由して18日の15時55分に成田へ到着した。50以上の荷物を下ろした後、17時10分よりJMTDR2次隊の解散式が行われ、各隊員は帰路に着いた。

(5) 救援活動をとおして得た教訓など

 被災国で援助活動を行う場合、医療資機材や医薬品が不足しがちであるので、その状況下で工夫しながら安全かつ正確に調剤業務や服薬指導を行うために薬剤師が必須であったことがよく分かった。また、JMTDRの薬剤師は診療活動を行う中で多くの薬剤師以外の役割を求められるが、それについても積極的に取り組む必要があると思われた。
 今回のスマトラ沖地震・インド洋津波災害においては被災国が数カ国にもおよび、各国が莫大な損害を受けている。私の派遣されたスリランカ民主社会主義共和国では被害を受けた地域が都市部からかなり離れており、完全に復興するまでおそらく10年以上はかかるだろうと思われる。緊急援助のみについてJMTDRは大きく貢献できたと思うが、今後長期にわたっての援助活動について日本人に与えられた課題は大きい。

 

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