済生会は、明治天皇が医療によって生活困窮者を救済しようと明治44(1911)年に設立しました。100年以上にわたる活動をふまえ、日本最大の社会福祉法人として全職員約64,000人が40都道府県で医療・保健・福祉活動を展開しています。
済生会は、405施設・437事業を運営し、66,000人が働く、日本最大の社会福祉法人です。全国の施設が連携し、ソーシャルインクルージョンの推進、最新の医療による地域貢献、医療と福祉のシームレスなサービス提供などに取り組んでいます。
主な症状やからだの部位・特徴、キーワード、病名から病気を調べることができます。症状ごとにその原因やメカニズム、関連する病気などを紹介し、それぞれの病気について早期発見のポイント、予防の基礎知識などを専門医が解説します。
全国の済生会では初期臨床研修医・専攻医・常勤医師、看護師、専門職、事務職や看護学生を募集しています。医療・保健・福祉にかかわる幅広い領域において、地域に密着した現場で活躍できます。
一般の方の心身の健康や暮らしの役に立つ情報を発信中。「症状別病気解説」をはじめとして、特集記事や家族で楽しめる動画など、さまざまなコンテンツを展開しています。
2013年11月8日に猛烈な台風30号が、フィリピン・レイテ島北東部の海岸にあるタクロバンを襲いました。死者は少なくとも5,000人を突破し、行方不明者1,700人以上に上る甚大な被害を出しました。猛烈な嵐の中、最大で7メートルの巨大な高潮が津波のように街を襲ったのです。
11月10日20時50分、国際緊急援助隊(JICA)から医療チームの派遣要請がかかりました。条件が翌日の昼までに成田に集合できる人という、まさに緊急招集でした。夜中に上司に打診し、派遣が決定したのが11日の午前0時過ぎでした。
成田での結団式を済ませ、第1陣がチャーター機で首都マニラに到着したのが11日19時30分頃。被害の大きいレイテ島の空港は閉鎖されていて、現場へのルートを検討した結果、まずは国内線でセブ島への移動が決定。ホテルで2~3時間の休憩後、12日朝5時、出発しました。
セブ島からレイテ島までは、アメリカ軍のオスプレイでの移動も可能との情報が入ってきましたが、オスプレイを降りた地点からの移動手段が整っていません。安全面はどうなのか、移動の車両も含めて考えなければなりません。レイテ島では、泥だらけで医療を行っており、泊まるところや水もない。治安が悪くガソリンも食料も確保できないとの情報でした。そこで、安全面の確保にはフリピン警察の協力をお願いしつつ、移動手段の手配も同時進行で行っていきました。
12日22時、セキュリティ会社・フィリピン警察の護衛のもとフェリーでレイテ島のオルモックに向かい、13日4時30分に到着。夜の移動は危険を伴うため、夜明けを待ってタクロバンを目指します。日本を発って2日目、隊員メンバーは仮眠を取っただけで移動が続く中、さらに車で4、5時間、もうすぐでタクロバンに着くという所でアクシデント。約2キロ先で、物資の略奪事件が発生したというのです。警察と銃撃戦となっているとの情報が入ってきました。もう一歩でタクロバンという所で一時、撤退。途中の街バイバイシティまで引き返しました。
14日、フィリピン警察が安全を確認し、改めて出発。道路には瓦礫が散乱し、よけるのも大変です。両側の道路には大勢の人たち、特に小さな子どもたちが両手を伸ばして「help~」「food~」と叫んでいます。14日現在、医療支援に入っている国はほとんどなく、物資も行き届いていない状況です。止まって助けてあげたいと思うのですが、前日に略奪があったばかりなので、まずはたどり着くことが先決だと自分に言い聞かせました。
夕方、タクロバンに無事に到着。移動に長時間を費やし、体は疲れていましたが、誰一人として弱音は吐きませんでした。やっと援助活動ができるといううれしさの方が上回っていたのです。
活動地点に日の丸を掲げる隊員
診療の様子
地元の子どもたち
15日午前、市内のリサール公園に十字テントを設営し、午後から診療開始。半日で156人を診ました。被災して1週間が経っていますが、外傷の方が多く、まだ診察も受けていない状態です。傷口は感染を起こし腫れ上がっていて、切開・排膿処置が続きます。子どもの受診希望も多く、脱水や風邪の症状の方もたくさんいました。診察期間内には、医療を受けられずにいた慢性疾患の方も多く来られ、結核の方も数人いました。日本の国際緊急援助隊は、血液検査はもちろんのこと、エコーやレントゲン装置を持参しているため、多くの診断ができます。
テント内の温度は43度を超えていますが、被災者の方へ日本の心が伝わるように心がけました。言葉が通じなくても、日頃行っているきめ細かな対応(看護)を行えば、きっと思いは伝わるはず。目線の高さを被災者に合わせ、タッチング。子どもへは、日本から持参した折り紙を織ってプレゼント。被災者からは、受診後に「Thank you、Thank you」と笑顔の握手を求められました。その笑顔から、自分の思いは伝わっていると確信が持ててうれしくなりました。
バサイ地区にある地域病院は、屋根が吹き飛ばされていました。その中で医師1人と看護師1人が不眠不休で診療を続けていました。テント内の診療所を維持しつつ、その病院への支援にも携わりました。2次隊に引き継ぐ22日までの間、診療テント、バサイ地域病院で合計1,000人近い被災者の診療を行いました。
今回の医療チームは27人でしたが、現地では通訳・運転手・護衛のセキュリティ会社・地元警察を合わせ、総勢74人がサポートしてくれました。「これまでにない過酷なミッションだった」と副団長が話されていました。被災地までの移動、安全面の確保、診療、どのことをとっても地元フィリピンの方々の協力なしでは、できなかった活動だったと思います。感謝申し上げるとともに、一日も早い復興を切に願うばかりです。
最後になりましたが、派遣に向けてご尽力いただいた上司、支えてくれた同僚、このような機会を与えてくださった済生会の皆様に感謝いたします。これからも「救療済生」を念頭に、微力ですが力になっていきたいと思います。
※本会のフィリピン台風被害への支援では、大阪府済生会千里病院、岡山済生会総合病院からも医師と看護師が派遣されています。