社会福祉法人 恩賜財団 済生会(しゃかいふくしほうじん おんしざいだん さいせいかい)社会福祉法人 恩賜財団 済生会(しゃかいふくしほうじん おんしざいだん さいせいかい)

インドネシア西スマトラ州パダン沖地震災害

10日で1447人を診察、一瞬に消えた婚礼の列に涙

千里病院 千里救命救急センター 看護師 山口直樹

 インドネシア西スマトラ州パダン沖で今年9月30日、現地時間の午後5時16分、マグニチュード7.6の大地震が発生しました。死者が数千人に及ぶといった情報が錯綜する中、インドネシア政府の援助要請に従い、国際緊急援助隊救助チーム及び医療チームの派遣が決定しました。今回の派遣は救助チームと医療チームとが初の同時派遣であったため、時間的余裕がなく、医療チームは2陣に分かれての出発となりました。
 私は医療チーム(医師4人、看護師7人を含む計23人)の一員として10月2日、第2陣(計9人)でジャカルタへ出発しました。翌3日、震源地から50キロと、最も近い都市パリアマン市に移動し、医療活動を始めていた第1陣と合流、4日から本格的なサイト診療を開始しました。

市役所前で医療サイト開設

 医療チームとしてパリアマン市に足を踏み入れたのは日本チームが最初でした。そのためパリアマン市長より激励を受け、サイトの設営もぜひ市役所の前の広場で展開してほしいという要望を受けました。市役所前広場には市の災害本部もあり、そこで診療サイトを展開しました。
 診療サイトは日本でいう外来診療所のようなもので、受け付けで患者をトリアージし、診察や処置後に必要時薬剤を処方、帰宅していただくといった流れです。検査としてはレントゲン及びインフルエンザやノロウイルスといった迅速検査キットを使用した簡易検査が可能です。入院施設は兼ね備えていませんが、静脈麻酔を使用した手術は可能であり、加えて救急車や自家用車で搬送される急患も受け付けていました。

気温40度超の日々

 診療時間は午前8時半から12時まで、午後3時から夕方6時までとしました。日中は平均気温が40度を超え、最高気温が47度となった日もありました。この過酷な環境下、体調に気をつけ診療にあたりましたが、隊員2人が熱中症や疲労で倒れました。
 患者は地震に伴う外傷疾患に加えて、テント生活による身体的・精神的苦痛や慢性疾患の悪化、感染症とさまざまで、小児患者も多く受診に来られました。外傷疾患は地震やその避難活動で受傷されており、感染創や熱傷、四肢の骨折といったものがほとんどでした。身体的苦痛としては腰痛や四肢痛、精神的苦痛としてはASD(急性ストレス障害)があり、号泣し震えながらサイトに来られた少女もいました。感染症はデング熱や麻疹、水痘症などに加えて、乳幼児のノロウイルスやロタウイルスなどがありました。慢性疾患は、気管支喘息や慢性心不全の急性増悪などがありました。
 診療室は医師1人、看護師1人、通訳1人が1チームとなり、基本的に2診で対応しました。その他に外傷治療室として別に1診設営とし、状況に応じて3診としました。

患者の笑顔に癒やされる

 言語はインドネシア語で、英語が全く通じず当初診療に手間取りました。が、通訳の方々の熱心な対応によって診療がスムーズに流れるようになりました。言葉は通じませんが、表情やジェスチャーなどで表現することで気持ちが通じた時があり、とてもうれしく感じました。また、そんなときに見せる患者さんの屈託のない笑顔に癒されました。
 今回私は看護師として診療にあたりましたが、熱傷のデブリードメントや臨床検査、薬剤処方の補助などの経験もさせていただきました。JICAの定期研修は創傷管理や検査、医療調整など多岐にわたる内容ですが、実際に患者に接して、日ごろのトレーニングの大切さを実感したミッションでもありました。

一瞬に消えた結婚式の列

 活動中に被害状況の視察として、被害の最も大きい山間部の村へと足を運びました。地震による土砂崩れと聞いていましたが、私が見た光景は想像を絶していました。山肌は数キロにわたって削がれ、川が流れていたであろう場所は、土砂が敷き詰められたようになり、水門も土砂に深く埋まっていました。
 辺り一面に死臭が立ち込め、奥へ歩いて行くにしたがってより一層増していきました。村があったと聞かされた場所にたどり着くと、ただ土砂の堆積でした。同行した濱田団長から、地震の起こった日に結婚式があったと聞きました。そして指さしながら「あそこで結婚式に参列した200人余りの人々が一気に生き埋めになった」と説明してくれました。団長が指さした方向を見つめながら自然と涙がこぼれました。
 すぐ近くに31人の共同墓地がありましたが、残りの方々は行方不明のままでした。その共同墓地で私は、手を合わせることしかできませんでした。

必ず私の糧になる

 今回の診療で我々医療チームは、10日間で1447名の患者を診察しました。これでも被災者のほんのわずかですが、このミッションにかかわり、経験したことや感じ取ったことは数知れません。このミッションを振り返り、今後の自己の活動の糧とし、次回また活動できれば活かしていきたいと思っています。
 最後になりますが、今回の派遣にかかわっていただいた皆様及び、このような機会を与えて下さった方々に感謝の意を表し、ここに報告とさせていただきます。本当にありがとうございました。

 

関連記事

  1. インド地震に関する緊急援助(固定ページ | 2001.9.27)