済生会は、明治天皇が医療によって生活困窮者を救済しようと明治44(1911)年に設立しました。100年以上にわたる活動をふまえ、日本最大の社会福祉法人として全職員約64,000人が40都道府県で医療・保健・福祉活動を展開しています。
済生会は、405施設・437事業を運営し、66,000人が働く、日本最大の社会福祉法人です。全国の施設が連携し、ソーシャルインクルージョンの推進、最新の医療による地域貢献、医療と福祉のシームレスなサービス提供などに取り組んでいます。
主な症状やからだの部位・特徴、キーワード、病名から病気を調べることができます。症状ごとにその原因やメカニズム、関連する病気などを紹介し、それぞれの病気について早期発見のポイント、予防の基礎知識などを専門医が解説します。
全国の済生会では初期臨床研修医・専攻医・常勤医師、看護師、専門職、事務職や看護学生を募集しています。医療・保健・福祉にかかわる幅広い領域において、地域に密着した現場で活躍できます。
一般の方の心身の健康や暮らしの役に立つ情報を発信中。「症状別病気解説」をはじめとして、特集記事や家族で楽しめる動画など、さまざまなコンテンツを展開しています。
19歳で骨肉腫を発症。右足膝下を切断し、「義足のアスリート」となった谷真海さんは、笑顔を絶やさず、周囲を明るくする「スマイルパワー」の持ち主でもあります。病気をきっかけに起こった人生の変化、パラリンピックへの思いについて […]
大学生活でチアリーディングをエンジョイしていた青春真っただ中での発病。「もし病気をしなかったら、卒業後は普通にお勤めして、趣味でランニングなんかをしていたかもしれない。それがまさかパラアスリートになるなんて。足を失った代わりに命をもらい、こんな人生をまた生きていいんだと、むしろポジティブになれました」と笑顔で語る谷真海さん。
もちろん手術への葛藤も。「足は残したい。切断は最後の手段にしたいと思ったんです。でも、主治医から、手術をしなければ長くて1年半しか生きられないこと、義足を使えばまた走れるようになるといわれ、すっきりした気持ちで手術に臨むことができました」
医師の言葉を裏付けるように、義足になって2年後には、走幅跳でアテネパラリンピックへ。北京、ロンドンと3大会連続出場を果たした。その後、結婚、出産を経て、今度はトライアスロンへ競技を転向。周囲を驚かせたが、「長く続けられる競技だと思い転向を決めた」といい、東京大会へも出場。一昨年、第2子を出産した現在は、次のパリ大会を視野に練習を積んでいるという。
「正直、難しい挑戦だとは思います。でも、あきらめたらそこで終わり。そういうときこそ踏ん張って、自分の限界の蓋(ふた)を外してチャレンジするクセがついたのも、病気のおかげですね」
谷さんのさらなる飛躍に注目したい。
文:みやじまなおみ 写真:安友康博(機関誌「済生」2024年2月)
パラアスリート谷真海
『切り拓くチカラ』(集英社)
©竹見脩吾
かつて佐藤真海として、走幅跳でアテネ、北京、ロンドンのパラリンピック3大会に出場。2013年には東京オリンピック・パラリンピック招致プレゼンテーションでの名スピーチによって、一躍パラリンピアンを象徴する存在に。そんな彼女が、結婚と出産を経て、トライアスロン選手として再び夢の舞台を目指した背景とは? 義足のアスリート谷真海さんの、東京パラリンピック挑戦の記録をまとめた一冊。
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