済生春秋 saiseishunju
2026.02.04

第156回 天気には勝てぬ

 18年前の3月中旬、北海道中頓別町(なかとんべつちょう)から講演の依頼を受けて訪れた。北海道といえども、このころであれば寒くないだろうと高を括った。それがとんでもない見込み違いだった。
 札幌から函館本線、宗谷本線と列車に乗って向かった。線路の両側には雪がうず高く積もっていた。ラッセル車が除雪した後なのだろうか。
 音威子府(おといねっぷ)駅で下車し、雪が舞う中を車で中頓別町の会場に向かった。札幌を出発したときは小雪が散っていたが、目的地に近づくにつれ積もった雪の量が違う。そのうえ体感したことのない寒さだ。これが北海道の冬なのだ。
 それでも講演会場にはたくさんの町民が集まってくれた。こんな雪や寒さなどなんともないようだ。暮らしの中に天気が組み込まれている。

 私の郷里である富山県も雪国である。
 62年前の大学入学まで高岡市で暮らしたが、当時は冬に雪が降るのは当たり前だった。道路が深い雪で覆われ、歩くのも苦労する。家に閉じこもりがちになる。
 太陽が見えない毎日で、気持ちもうつむき加減になる。これが長い間に遺伝子に書き込まれ、ひたすら耐える県民性が醸成されてきた。私もその一人だ。これが生き抜く方法だった。

 高岡市で暮らしていた時には38年豪雪(サンパチ豪雪)を経験した。当時家業が急速に傾いていた時なので、気持ちを一層暗くさせた。老朽化した家は、深夜寝ていると、ミシミシという不気味な音が天井から聞こえてきた。「潰れるのか」と不安な一夜を過ごした。
 翌朝早々、屋根に上がって雪下ろしをした。水をたっぷりと含んだ北陸特有の雪は重かったが、雪下ろしは慣れたものだった。

 近年はその高岡市では雪が少なくなった。雪のない冬の生活スタイルに慣れてきたのではないか。雪下ろしの必要のない年が続いただろう。
 それが今年は、一変して豪雪になったと伝えられる。日々の生活は、大きく変化しただろう。
 私たちの暮らしは、いつも天気に翻弄される。

炭谷 茂

すみたに・しげる

1946年富山県高岡市生まれ。69年東京大学法学部卒業、厚生省に入る。自治省、総務庁、在英日本大使館、厚生省社会・援護局長などを経て2003年環境事務次官に就任。08年5月から済生会理事長。現在、日本障害者リハビリテーション協会会長、富山国際大学客員教授なども務めている。著書に「環境福祉学の理論と実践」(編著)「社会福祉の原理と課題」など多数。

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