社会福祉法人 恩賜財団 済生会(しゃかいふくしほうじん おんしざいだん さいせいかい)社会福祉法人 恩賜財団 済生会(しゃかいふくしほうじん おんしざいだん さいせいかい)

済生春秋 saiseishunju
2025.03.11

第145回 穏やかな船旅

 船旅と言っても大分県臼杵(うすき)港から愛媛県八幡浜(やわたはま)港までの2時間20分のフェリー船である。2月中旬、宮崎県高鍋町と門川町の用務を終えて、松山市での済生会総会・学会に参加するためである。
 瀬戸内海は穏やかで、船は揺れなかった。窓から海を眺めると、鏡のように海面が平らで光が反射していた。中国地方の青々とした山々が見えた。何も考えることもなく、ぼんやりしていた。穏やかな時間だけが過ぎていった。

 最近東京の街の変化が激しい。地下街は、いつの間にか大きく広がり、迷ってしまう。若者は、他人に無頓着に慌ただしく追い越していく。最近の電車は、混んでいる。みんな眉間に皺を寄せて、小さな液晶画面を見つめている。
 こんな都会で暮らしていると、疲れてしまう。時間がゆっくりと過ぎる船旅は、心身をしてくれた。

 これまで出張のために船を利用することは、時々あった。特に35年前までは宇高(うこう)連絡船をよく利用した。
 しかし、観光での船旅は、2度しかない。一度は、大学生の時の伊豆大島である。貧乏学生で日帰りだったので、何も記憶に残っていない。

 もう一つは、40年前イギリスに滞在していた時、家族でスペインからモロッコのタンジールに渡った時である。マラガから大型フェリー船を利用したが、地中海は穏やかだった。イギリス領であるジブラルタルを見ることもできた。
 タンジールは、当時貧困街が多く、治安が悪かった。旅行客の集団には、現地の警察官が同行した。世界にはこんな地域があるのかと思った。

 街頭で10歳くらいの子どもが、手作りの民芸品を「バイ ジス」とせがむ。記念になると思い、10ドル札を渡したが、お釣りがないと言う。「両替してくる」と走り去った。戻って来ないかもと諦めたが、10分ほどすると、息を弾ませて9ドル分の紙幣を持って帰って来た。貧困家庭を支えている子どもが可愛く思えた。
 再びフェリー船で夜遅くマラガのホテルに戻ると、心配したとおり強烈な下痢が襲った。
 こんなさまざまな経験ができる船旅は、私にはもうないだろう。

炭谷 茂

すみたに・しげる

1946年富山県高岡市生まれ。69年東京大学法学部卒業、厚生省に入る。自治省、総務庁、在英日本大使館、厚生省社会・援護局長などを経て2003年環境事務次官に就任。08年5月から済生会理事長。現在、日本障害者リハビリテーション協会会長、富山国際大学客員教授なども務めている。著書に「環境福祉学の理論と実践」(編著)「社会福祉の原理と課題」など多数。

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