済生会は、明治天皇が医療によって生活困窮者を救済しようと明治44(1911)年に設立しました。100年以上にわたる活動をふまえ、日本最大の社会福祉法人として全職員約66,000人が40都道府県で医療・保健・福祉活動を展開しています。
済生会は、405施設・437事業を運営し、66,000人が働く、日本最大の社会福祉法人です。全国の施設が連携し、ソーシャルインクルージョンの推進、最新の医療による地域貢献、医療と福祉のシームレスなサービス提供などに取り組んでいます。
主な症状やからだの部位・特徴、キーワード、病名から病気を調べることができます。症状ごとにその原因やメカニズム、関連する病気などを紹介し、それぞれの病気について早期発見のポイント、予防の基礎知識などを専門医が解説します。
全国の済生会では初期臨床研修医・専攻医・常勤医師、看護師、専門職、事務職や看護学生を募集しています。医療・保健・福祉にかかわる幅広い領域において、地域に密着した現場で活躍できます。
一般の方の心身の健康や暮らしの役に立つ情報を発信中。「症状別病気解説」をはじめとして、特集記事や家族で楽しめる動画など、さまざまなコンテンツを展開しています。
船旅と言っても大分県臼杵(うすき)港から愛媛県八幡浜(やわたはま)港までの2時間20分のフェリー船である。2月中旬、宮崎県高鍋町と門川町の用務を終えて、松山市での済生会総会・学会に参加するためである。
瀬戸内海は穏やかで、船は揺れなかった。窓から海を眺めると、鏡のように海面が平らで光が反射していた。中国地方の青々とした山々が見えた。何も考えることもなく、ぼんやりしていた。穏やかな時間だけが過ぎていった。
最近東京の街の変化が激しい。地下街は、いつの間にか大きく広がり、迷ってしまう。若者は、他人に無頓着に慌ただしく追い越していく。最近の電車は、混んでいる。みんな眉間に皺を寄せて、小さな液晶画面を見つめている。
こんな都会で暮らしていると、疲れてしまう。時間がゆっくりと過ぎる船旅は、心身をしてくれた。
これまで出張のために船を利用することは、時々あった。特に35年前までは宇高(うこう)連絡船をよく利用した。
しかし、観光での船旅は、2度しかない。一度は、大学生の時の伊豆大島である。貧乏学生で日帰りだったので、何も記憶に残っていない。
もう一つは、40年前イギリスに滞在していた時、家族でスペインからモロッコのタンジールに渡った時である。マラガから大型フェリー船を利用したが、地中海は穏やかだった。イギリス領であるジブラルタルを見ることもできた。
タンジールは、当時貧困街が多く、治安が悪かった。旅行客の集団には、現地の警察官が同行した。世界にはこんな地域があるのかと思った。
街頭で10歳くらいの子どもが、手作りの民芸品を「バイ ジス」とせがむ。記念になると思い、10ドル札を渡したが、お釣りがないと言う。「両替してくる」と走り去った。戻って来ないかもと諦めたが、10分ほどすると、息を弾ませて9ドル分の紙幣を持って帰って来た。貧困家庭を支えている子どもが可愛く思えた。
再びフェリー船で夜遅くマラガのホテルに戻ると、心配したとおり強烈な下痢が襲った。
こんなさまざまな経験ができる船旅は、私にはもうないだろう。
1946年富山県高岡市生まれ。69年東京大学法学部卒業、厚生省に入る。自治省、総務庁、在英日本大使館、厚生省社会・援護局長などを経て2003年環境事務次官に就任。08年5月から済生会理事長。現在、日本障害者リハビリテーション協会会長、富山国際大学客員教授なども務めている。著書に「環境福祉学の理論と実践」(編著)「社会福祉の原理と課題」など多数。