済生会は、明治天皇が医療によって生活困窮者を救済しようと明治44(1911)年に設立しました。100年以上にわたる活動をふまえ、日本最大の社会福祉法人として全職員約64,000人が40都道府県で医療・保健・福祉活動を展開しています。
済生会は、405施設・437事業を運営し、66,000人が働く、日本最大の社会福祉法人です。全国の施設が連携し、ソーシャルインクルージョンの推進、最新の医療による地域貢献、医療と福祉のシームレスなサービス提供などに取り組んでいます。
主な症状やからだの部位・特徴、キーワード、病名から病気を調べることができます。症状ごとにその原因やメカニズム、関連する病気などを紹介し、それぞれの病気について早期発見のポイント、予防の基礎知識などを専門医が解説します。
全国の済生会では初期臨床研修医・専攻医・常勤医師、看護師、専門職、事務職や看護学生を募集しています。医療・保健・福祉にかかわる幅広い領域において、地域に密着した現場で活躍できます。
一般の方の心身の健康や暮らしの役に立つ情報を発信中。「症状別病気解説」をはじめとして、特集記事や家族で楽しめる動画など、さまざまなコンテンツを展開しています。
先日、私の誕生日に発行された新聞「讀賣報知」のコピーをいただいた。終戦の翌年のものだから、新聞の紙質や保存状態が悪かったのか、コピーは、随所、読めない。それでも興味が尽きない。
「憲法改正政府案の大綱 第四條まで不變」「英聨邦占領軍 呉へ進駐開始」「食糧突破の統一戦線」「なげきの野天授業 歌を忘れた學童」
見出しを拾っただけでも、当時の時代風景が伝わる。紙面には「社會保護法素案成る」という記事もある。生活保護法制定前に検討されたようだが、こんな事実は、生活保護制度専門家である私も知らなかった。やはり新聞は、第一級の歴史資料である。
英国に勤務していたころ、東京経済大学の教授と知り合いになった。西洋経済史を研究されていたが、毎日、大英博物館の図書館に通い、マルクスが英国で生活していた時代のタイムズ紙を読んで、当時の経済状況を研究されていた。
図書館から帰った後、パブで話を聞くことがあった。いつも目を輝かせて「新聞を読んでいると、当時の息遣いまで分かる。マルクスが触れたかもしれない新聞である。研究論文の材料をたっぷり仕入れた」と興奮気味に話してくれた。
Z世代は、新聞を読まない。スマホでネットから情報を得ている。私には、なかなか理解できない。これで仕事に臨めるのだろうか。ネット情報は、信頼できない。実際、首を傾げたくなる情報に接する。またネット情報は、平板で分析が足りない。
しかし世の中の大勢は、新聞の読者は減少するばかりだ。電車の中で新聞を読む人は、1人いるかどうか。ほとんどの人は指でピコピコしながら、小さな液晶画面とにらめっこ。新聞を読んでいると、スマホを使えないおじさんか、競馬ファンと思われてしまう。
私は、新聞の変わらぬ愛読者である。新聞から仕事、研究、生活に必要な情報を得ている。東京から新大阪までの新幹線の中でも2紙の新聞があれば、退屈しない。
各新聞の1面下のコラムは、毎日必ず読んでいる。文章は、気取りがなくて明快。文章の模範としている。生活面に掲載される読者の投稿を読むと、自分と同じ考えの人がいると安心する。
こんな有益な新聞が部数減を辿(たど)っているのは、残念至極なことだ。
1946年富山県高岡市生まれ。69年東京大学法学部卒業、厚生省に入る。自治省、総務庁、在英日本大使館、厚生省社会・援護局長などを経て2003年環境事務次官に就任。08年5月から済生会理事長。現在、日本障害者リハビリテーション協会会長、富山国際大学客員教授なども務めている。著書に「環境福祉学の理論と実践」(編著)「社会福祉の原理と課題」など多数。