社会福祉法人 恩賜財団 済生会(しゃかいふくしほうじん おんしざいだん さいせいかい)社会福祉法人 恩賜財団 済生会(しゃかいふくしほうじん おんしざいだん さいせいかい)

済生春秋 saiseishunju
2023.04.03

第122回 禁酒12年

「健康法は何ですか」と聞かれたら、「65歳の誕生日から完全に禁酒していること」と答える。これを実行していなかったら、脳卒中などの大病で倒れて、家族を悲しませていただろう。
 徒然草175段に「百薬の長とはいへど、万の病は酒よりこそ起れ」と書かれている。高校生で読んだときは特段の思いは抱かなかったが、今になって「やはり吉田兼好は人生の達人だ」と実感している。

 私の血筋は、アルコールに弱い。父や弟は、酒が全く飲めず、ともに公務員だった兄と私だけが飲んでいた。二人ともアルコールに強くないはずなのに、酒が好きで、飲まない日はなかったと言っていい。
 公務員時代は仕事やプライベートなどで飲む機会が多かった。家での夕食よりも外食の方が多かった週もある。時には2次会で11時を過ぎ、翌日はきつかった。
 役所に入りたての50年前、職場には酒飲みがいっぱいいた。夕方5時30分を過ぎると、職場でビールや乾きものがテーブルに運ばれ、飲み会が始まったから驚きだ。今日であれば、世間の批判を浴びるだろう。
 大人数の宴会は、気が進まなかった。ほとんど話題は、真偽のほどが分からない他人のうわさ話だった。しかし、少人数での席は、相手の人物像が詳しく分かり、情報交換に役立った。

 こんな生活をしていたので、健診結果表には、いつも「脂肪肝あり」と記載されていた。でも体に異常は感じなかったので、「自分は大丈夫」と楽観していた。というよりも、そのように思うようにしていた。
 同じような生活をしていた兄は、60歳代半ば、肝臓がんで亡くなった。自分のDNAは、酒に向かないのだと心配になって、65歳の時に禁酒を決断した。それ以降お神酒や乾杯も含めて、一切飲んでいない。

「日本酒1合であれば、健康に良い。飲まない人より長生きする」と人に勧められる。しかし、これで止められないのが、酒飲みの常態である。私も一口でも口にすれば、昔の快適な記憶が蘇り、元の酒飲みに戻ってしまうのではと恐怖心を持つ。
 そこで完全な禁酒を続けている。初めの数カ月は飲みたいと誘惑に駆られたが、今ではアルコール抜きの生活は、快適である。
 ちなみにエコー画像ではフォアグラのように真っ白だった肝臓が、禁酒2年後にはぴちぴちに戻っていた。

炭谷 茂

すみたに・しげる

1946年富山県高岡市生まれ。69年東京大学法学部卒業、厚生省に入る。自治省、総務庁、在英日本大使館、厚生省社会・援護局長などを経て2003年環境事務次官に就任。08年5月から済生会理事長。現在、日本障害者リハビリテーション協会会長、富山国際大学客員教授なども務めている。著書に「環境福祉学の理論と実践」(編著)「社会福祉の原理と課題」など多数。

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