社会福祉法人 恩賜財団 済生会(しゃかいふくしほうじん おんしざいだん さいせいかい)社会福祉法人 恩賜財団 済生会(しゃかいふくしほうじん おんしざいだん さいせいかい)

済生春秋 saiseishunju
2023.02.28

第121回 別れの季節

 3月は、別れの季節である。
 人生の早期に経験する別れは、卒業式である。小、中学校の卒業式は、記憶に残るが、高校の卒業式には出席していない。受験中だったり、受験に失敗した生徒もいるという配慮だろうか、出席は強制されなかった。
 大学は、学園紛争のため6月に学部単位という変則的な卒業式だった。当時、モヤモヤした暗雲状態から新しい世界に踏み出せると開放感を感じた。

 職場の異動に伴う別れがある。
 福井県庁に出向した3年間は、30代前半という若い時だっただけにたくさんの刺激的な仕事に従事できた。
 プライベートでも楽しかった。日曜日は子どもを自転車の前に乗せ、市内に所在する足羽山の動物園に遊びに連れて行った。時には遠方の朝倉遺跡に足を延ばした。そのころ観光客が少なく、春になれば、マムシがうろうろしていた。
 充実した3年間だっただけに福井を去る時は寂しかった。日常的な付き合いのあった人や若造を辛抱強く支えてくれた県庁職員との別れは、感謝と寂しさが入り混じった。

 平成18年9月に環境事務次官を退官したときは、さすがに感傷的な気持ちになった。37年間、自分の信念に忠実に仕事をしたので、たくさんの人と衝突し、迷惑をかけたが、悔いを残さない公務員生活だった。
 退官2日前、読売新聞が社会面のほぼ全面を使って私の退官を報じてくれた。休日に行なってきた大阪・釜ヶ崎での活動など役人として型破りの生き方を紹介し、退官後の活動に注目するという内容だった。
 私にとっては大きな励みになったが、同僚などはどのように感じただろうか、複雑な気持ちになった。
 退官の日、環境省のたくさんの若い職員による私への寄せ書きが贈られた。大変うれしい餞別(せんべつ)となった。私の生き方は、誤りではなかった。

 肉親の死による別れは、最もつらい。いずれも長期の闘病を経ての死だったが、直後は呆然(ぼうぜん)とするだけだった。
 しかし、時間が経つにつれ、喪失感を感じてきた。死による別れは、他のものとは違い、絶対的な別れである。

 人は、さまざまな別れを経験して歩んでいかねばならない運命である。

炭谷 茂

すみたに・しげる

1946年富山県高岡市生まれ。69年東京大学法学部卒業、厚生省に入る。自治省、総務庁、在英日本大使館、厚生省社会・援護局長などを経て2003年環境事務次官に就任。08年5月から済生会理事長。現在、日本障害者リハビリテーション協会会長、富山国際大学客員教授なども務めている。著書に「環境福祉学の理論と実践」(編著)「社会福祉の原理と課題」など多数。

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