済生春秋 saiseishunju
2026.05.08

第159回 私の昭和時代

 4月29日、日本武道館で開催された政府主催の「昭和100年記念式典」に参加した。昭和生まれでない若い人の参加も多かった。昭和への思いは、人さまざまだろう。

 式典では海上自衛隊東京音楽隊によって「上を向いて歩こう」など昭和を代表する6曲が演奏された。聞きながら私だったらどんな曲だろうか考えた。真っ先に吉永小百合がデュエットなどで歌った「いつでも夢を」と「寒い朝」が浮かんだ。毎日の苦しい生活に耐えながら懸命に生きる昭和の若者の心をとらえた。
 若くして亡くなった姉は、「寒い朝」をよく口ずさんでいた。何を考えていたのかは分からない。生き方が下手だった姉は、よく失敗をしてはじっと我慢していた。私が、「どうしたの」と聞いても黙って下を向いているばかりだった。こんな時、この曲が慰めになったのだろうか。

 当時の娯楽の中心だった映画も昭和の思い出と重なる。10数年前、TOKYO FMの「明日に架ける橋」という音楽番組にゲストとして招かれた。私がリクエストした曲は、ドクトル・ジバゴの「ララのテーマ」と「ある愛の詩」で、いずれも映画音楽である。
 「ララのテーマ」は、広大な雪原を背景に流れる美しいメロディーである。原作のパステルナークの小説は、ロシア革命によって翻弄される人間の哀れさを描いているが、小説とともに大学生時代に見たこの映画は、私の青春時代の記憶に鮮やかに残る。

 「ある愛の詩」は、ロマンチックでシンプルなストーリーであるが、青春時代の淡い思い出に残る映画である。ベストセラーになった原作に忠実に制作された映画だが、フランシス・レイの哀調を帯びた音楽は心に沁みる。しかし、令和の時代ではこのような甘いストーリーは、受け入れられるだろうか。

 私にとって昭和時代は、窮乏に耐え忍び、質素な生活に楽しみを見つけつつ、自分の夢の実現に向けて懸命に努力する日々だった。おそらく多くの日本人も同様だった。こんな時代の昭和は、今では遠くなってしまった。

炭谷 茂

すみたに・しげる

1946年富山県高岡市生まれ。69年東京大学法学部卒業、厚生省に入る。自治省、総務庁、在英日本大使館、厚生省社会・援護局長などを経て2003年環境事務次官に就任。08年5月から済生会理事長。現在、日本障害者リハビリテーション協会会長、富山国際大学客員教授なども務めている。著書に「環境福祉学の理論と実践」(編著)「社会福祉の原理と課題」など多数。

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