社会福祉法人 恩賜財団 済生会(しゃかいふくしほうじん おんしざいだん さいせいかい)
済生春秋 saiseishunju

2019.05.08 第75回 印象・日の出

 「春はあけぼの」と清少納言は、言った。
 最近は、5時頃には目が覚めてしまう。立夏となっても、この時間は、清少納言が描いた春と同じように段々と雲が白んできて、清々しく美しい。

 都会では水平線や地平線から太陽が覗(のぞ)かせる瞬間を見ることは困難だ。初めて日の出を見たのは、小学3年生の夏の臨海学校のときだった。
 4時頃に起こされて富山湾に面した砂浜へ歩いた。眠りから完全には覚めず、重い足を引きずって歩く児童は、みな渋々だった。
 しかし、静寂の世界の中で水平線から赤々とした太陽が見えた瞬間、雰囲気はがらりと変わった。全員が息を飲んだ。神を見たかのような気持ちになった。大人であれば、思わず手を合わせたかも知れない。

 最近の子どもたちは、日の出を見ることが少なくなった。文科省の外郭団体「青少年教育振興機構」の調査でも分かる。中学2年生で「太陽が昇るところや沈むところを見たことがないか、ほとんどない」生徒が、半数を超える。
 日の出を見て、感動する機会を持たない。代わって家の中で、スマホでゲームに興じる。液晶画面で日の出や夕焼けを知る。
 この調査では、自然との触れ合いが少なくなると、道徳心や正義感が弱体化することも実証的に明らかになっている。自然との触れ合いが、人間の倫理や感性を育むのだ。スマホの画面では到底、無理だ。

 若い頃、クロード・モネの名画「印象・日の出」をパリの美術館で見た。印象派の幕開けとなる作品である。
 モネの日の出と私が臨海学校のときに感動した日の出とは、全く違っていた。前者の日の出は、工場地帯の中から昇り始め、周囲がまだ薄暗く、都会のアンニュイ(倦怠感)が漂う。これに対して後者は、太陽が自然の中の中心的存在として明るく、活力に満ちていた。
 太陽は、そのときの環境や観察者によって異なる印象を与える。

 モネの「印象・日の出」は、当時の芸術観からは完全な異端だった。発表直後から「つまらない絵だ。壁紙の方がましだ」という酷評を受ける。画壇から追放される恐れもあった。モネの勇気ある行動だった。
 西洋美術史に新たなページを切り開いた作品は、「印象・日の出」というまさにぴったりの作品名だ。モネは、そこまで読んだのだろうか。
 日の出は、新しい出発の象徴だ。

炭谷 茂

すみたに・しげる

1946年富山県高岡市生まれ。69年東京大学法学部卒業、厚生省に入る。自治省、総務庁、在英日本大使館、厚生省社会・援護局長などを経て2003年環境事務次官に就任。08年5月から済生会理事長。現在、日本障害者リハビリテーション協会会長、富山国際大学客員教授なども務めている。著書に「環境福祉学の理論と実践」(編著)「社会福祉の原理と課題」など多数。