社会福祉法人 恩賜財団 済生会(しゃかいふくしほうじん おんしざいだん さいせいかい)
済生春秋 saiseishunju
2021.04.05

第98回 12回の引っ越し

 この季節は、引っ越しが多い。この町でどんな人生を送ったのだろうか。 
 数えてみると、これまで12回引っ越した。生涯93回の引っ越しをした葛飾北斎に比べると、ものの数でない。
 でも、それぞれに忘れがたい思い出がある。引っ越しの理由は、大学入学、就職、結婚、地方勤務、海外勤務、退職などである。引っ越しは、人生の区切りとなった。

 30代の若いころ福井県庁に出向し、職員住宅で3年間過ごした。出向前の旧厚生省では深夜までの残業の連続だったが、県庁では残業はまれだった。
 猪突猛進の若い時期だったから、挑戦的に仕事をした。原発アセスメント、東尋坊地区の店舗移転交渉、県立高校の新設など地方行政ならではの仕事は、楽しかった。
 日曜日は、幼稚園児だった子どもを自転車に乗せて、市内の小高い足羽山に連れていった。頂上に小動物園があったので、子どもは喜んだ。遠距離にある朝倉遺跡にも行った。田んぼに囲まれ、のどかな中に中世の雰囲気が漂っていた。マムシと頻繁に遭遇したのも、田舎でないとできない経験だった。
 公私とも充実しきった3年間だった。福井県を離れるときは、「こんな満ち足りた生活は、二度とできないなあ」と思うと寂しかった。

 一番長く住んだのは、国家公務員を退職するまで住んだ国家公務員住宅だった。風呂では蛇口からお湯が出ず、洗濯機を置く場所もない。古く狭い集合住宅だったが、日当たりがよく不満はなかった。
 時々夜間に新聞記者が取材に訪れたが、「次官がこんなところに住んでいるのですか」と驚いて口にする人もいた。
「起きて半畳、寝て一畳」でよかった。

 ここに住んだのは、22年間に及んだ。旧厚生省や環境省の幹部として苦労したけれど、十分に仕事をさせてもらい、思い残すことは何もなかった。
 引っ越しをするとき廃棄した家具などは、戸外の廃棄物置き場にうず高く積まれた。荷物を運び出し、何もなくなった部屋を見ると、ここで過ごした22年間が、走馬灯のように浮かんできた。病気、事故、事件など悲しかったこと、苦悩したこと、悲嘆にくれたことが、あり余るほどあった。
 それでも静寂な空間からは家族の楽しい団欒(だんらん)の声が、聞こえてくるようだった。

炭谷 茂

すみたに・しげる

1946年富山県高岡市生まれ。69年東京大学法学部卒業、厚生省に入る。自治省、総務庁、在英日本大使館、厚生省社会・援護局長などを経て2003年環境事務次官に就任。08年5月から済生会理事長。現在、日本障害者リハビリテーション協会会長、富山国際大学客員教授なども務めている。著書に「環境福祉学の理論と実践」(編著)「社会福祉の原理と課題」など多数。

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