済生会は、明治天皇が医療によって生活困窮者を救済しようと明治44(1911)年に設立しました。100年以上にわたる活動をふまえ、日本最大の社会福祉法人として全職員約64,000人が40都道府県で医療・保健・福祉活動を展開しています。
済生会は、405施設・437事業を運営し、66,000人が働く、日本最大の社会福祉法人です。全国の施設が連携し、ソーシャルインクルージョンの推進、最新の医療による地域貢献、医療と福祉のシームレスなサービス提供などに取り組んでいます。
主な症状やからだの部位・特徴、キーワード、病名から病気を調べることができます。症状ごとにその原因やメカニズム、関連する病気などを紹介し、それぞれの病気について早期発見のポイント、予防の基礎知識などを専門医が解説します。
全国の済生会では初期臨床研修医・専攻医・常勤医師、看護師、専門職、事務職や看護学生を募集しています。医療・保健・福祉にかかわる幅広い領域において、地域に密着した現場で活躍できます。
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今年の秋は、あったのだろうか。夏から冬にジャンプした。芸術の秋も変調だった。
11月1日から国立新美術館で始まった第45回日展は、昨年までとは空気が違った。書道部門の日展入選審査を巡る疑惑が、すべての見学者の頭を支配している。華やかさは消え、重苦しい。
私は、11月9日に訪れた。本欄(第6回「俺たちのエベレスト」)で紹介した私の出身校である富山県立高岡高校の同級生であった氷見長徳君の作品を見るためである。
彼は、高校時代から美術の才能が輝いていた。私など足元にも及ばない。美術教師も一目置く存在だった。高校卒業後金沢美大で学び、地元の大手企業で工業デザインを仕事としていた。仕事の傍ら、地道に油絵を描き続け、今では富山県美術界の重鎮の座にある。会社を退職した今は、画業に専心している。
彼から10回目の日展入選ができたと招待状が送られてきた。作品は、富山県砺波市の散居村を描いたものである。彼が画家人生のテーマとして追求している。
富山県出身者には懐旧の念に駆られる作品である。当時小学校では当地が遠足の目的地だった。教師による砺波平野の散居村の希少性、防火という目的などの説明を興味深く聞いた。散居村は、私の郷里の誇りである。氷見君も同様な原体験があるのかも知れない。
日展に展示された作品の前でしばらく佇(たたず)んだ。穏やかな春の一日、水を張った水田、草緑色の菜の花を前面に、青々した樹木を背景に古い農家が立っている。人の声は聞こえないが、野鳥のさえずりは、響き渡っているのだろう。小学生の時に見た風景のままで、55年の時空を超えて蘇る。
しばらくの間、平和で牧歌的な別世界に浸れたが、書道部門の不祥事は、醜い現実の世界に引き戻す。小説の題材になるような芸術界の裏事情は、事実だったのか。
私の知人の多くの芸術家たちは、日展入選を目標にして精進している。「日展に入選できたよ」と誇らしげに連絡を何度も受けた。彼らの努力を無駄にしたくはないものだ。
1946年富山県高岡市生まれ。69年東京大学法学部卒業、厚生省に入る。自治省、総務庁、在英日本大使館、厚生省社会・援護局長などを経て2003年環境事務次官に就任。08年5月から済生会理事長。現在、日本障害者リハビリテーション協会会長、富山国際大学客員教授なども務めている。著書に「環境福祉学の理論と実践」(編著)「社会福祉の原理と課題」など多数。