社会福祉法人 恩賜財団 済生会(しゃかいふくしほうじん おんしざいだん さいせいかい)社会福祉法人 恩賜財団 済生会(しゃかいふくしほうじん おんしざいだん さいせいかい)

済生春秋 saiseishunju
2013.10.10

第9回 ラジオの世代

 先日、放送大学の山田知子教授の依頼を受けて、26年度に放送大学のラジオ放送で開講される社会福祉の講座に出演し、録音を終えた。これは、旧厚生省社会・援護局長だったときに実施した社会福祉基礎構造改革などについて、経験談を山田先生の質問を受けて答えるものだった。
 ラジオの声だけで学生に理解してもらうのはなかなか難しい。用意した原稿を読み上げるのでは聞く身になれば、つまらない。富山訛(なま)りが色濃く残る私よりも、プロのアナウンサーに代わって読んでもらった方がましだろう。「私でなければできない」という話し方を考えた。説明しようとする要点だけを紙に書き出した。前に学生がいると想定して、一緒に考えるように平易に話した。

 一昨年1月、FM東京の「明日に架ける橋」という番組に出演した。30分間の番組2回だった。パーソナリティーの七尾藍佳さんの質問に答える形で、自分の人生の歩みや現在取り組んでいることを自由に話す。途中で私の思い出の曲を流す。私は、映画音楽の「ドクトル・ジバゴのララのテーマ」と「ある愛の詩」を選んだ。二つとも情緒的なメロディーで20歳代の多感な青春時代の記憶に強く残る映画の音楽である。
 実際の放送を聞くと、自分ながらしんみりした。「ラジオもいいもんだ」と感じる。

 私の世代は、テレビに主役を奪われるまではラジオが日常生活の娯楽の中心だった。
小学生の私は、NHKの「笛吹童子」や「紅孔雀」の連続ドラマを、わくわくしながら聴いた。少年雑誌の人気漫画だった「赤胴鈴之助」が、ラジオドラマ化された。吉永小百合が芸能界にデビューした番組である。ラジオは、漫画よりもずっと迫力があった。クイズ番組の「20の扉」や「のど自慢」は、家族でラジオに向かい合って聴いた。
 文化放送の「旺文社大学受験ラジオ講座」は、田舎の受験生にとっては貴重で効果的な勉強手段だった。

 今では東海道新幹線の中で、窓の外に流れる風景をぼんやりと見ながらラジオを聴く。流れてくる音声は、いつも過ぎ去った日々の思い出と重なる。

炭谷 茂

すみたに・しげる

1946年富山県高岡市生まれ。69年東京大学法学部卒業、厚生省に入る。自治省、総務庁、在英日本大使館、厚生省社会・援護局長などを経て2003年環境事務次官に就任。08年5月から済生会理事長。現在、日本障害者リハビリテーション協会会長、富山国際大学客員教授なども務めている。著書に「環境福祉学の理論と実践」(編著)「社会福祉の原理と課題」など多数。

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