済生会は、明治天皇が医療によって生活困窮者を救済しようと明治44(1911)年に設立しました。100年以上にわたる活動をふまえ、日本最大の社会福祉法人として全職員約64,000人が40都道府県で医療・保健・福祉活動を展開しています。
済生会は、405施設・437事業を運営し、66,000人が働く、日本最大の社会福祉法人です。全国の施設が連携し、ソーシャルインクルージョンの推進、最新の医療による地域貢献、医療と福祉のシームレスなサービス提供などに取り組んでいます。
主な症状やからだの部位・特徴、キーワード、病名から病気を調べることができます。症状ごとにその原因やメカニズム、関連する病気などを紹介し、それぞれの病気について早期発見のポイント、予防の基礎知識などを専門医が解説します。
全国の済生会では初期臨床研修医・専攻医・常勤医師、看護師、専門職、事務職や看護学生を募集しています。医療・保健・福祉にかかわる幅広い領域において、地域に密着した現場で活躍できます。
一般の方の心身の健康や暮らしの役に立つ情報を発信中。「症状別病気解説」をはじめとして、特集記事や家族で楽しめる動画など、さまざまなコンテンツを展開しています。
先日、放送大学の山田知子教授の依頼を受けて、26年度に放送大学のラジオ放送で開講される社会福祉の講座に出演し、録音を終えた。これは、旧厚生省社会・援護局長だったときに実施した社会福祉基礎構造改革などについて、経験談を山田先生の質問を受けて答えるものだった。
ラジオの声だけで学生に理解してもらうのはなかなか難しい。用意した原稿を読み上げるのでは聞く身になれば、つまらない。富山訛(なま)りが色濃く残る私よりも、プロのアナウンサーに代わって読んでもらった方がましだろう。「私でなければできない」という話し方を考えた。説明しようとする要点だけを紙に書き出した。前に学生がいると想定して、一緒に考えるように平易に話した。
一昨年1月、FM東京の「明日に架ける橋」という番組に出演した。30分間の番組2回だった。パーソナリティーの七尾藍佳さんの質問に答える形で、自分の人生の歩みや現在取り組んでいることを自由に話す。途中で私の思い出の曲を流す。私は、映画音楽の「ドクトル・ジバゴのララのテーマ」と「ある愛の詩」を選んだ。二つとも情緒的なメロディーで20歳代の多感な青春時代の記憶に強く残る映画の音楽である。
実際の放送を聞くと、自分ながらしんみりした。「ラジオもいいもんだ」と感じる。
私の世代は、テレビに主役を奪われるまではラジオが日常生活の娯楽の中心だった。
小学生の私は、NHKの「笛吹童子」や「紅孔雀」の連続ドラマを、わくわくしながら聴いた。少年雑誌の人気漫画だった「赤胴鈴之助」が、ラジオドラマ化された。吉永小百合が芸能界にデビューした番組である。ラジオは、漫画よりもずっと迫力があった。クイズ番組の「20の扉」や「のど自慢」は、家族でラジオに向かい合って聴いた。
文化放送の「旺文社大学受験ラジオ講座」は、田舎の受験生にとっては貴重で効果的な勉強手段だった。
今では東海道新幹線の中で、窓の外に流れる風景をぼんやりと見ながらラジオを聴く。流れてくる音声は、いつも過ぎ去った日々の思い出と重なる。
1946年富山県高岡市生まれ。69年東京大学法学部卒業、厚生省に入る。自治省、総務庁、在英日本大使館、厚生省社会・援護局長などを経て2003年環境事務次官に就任。08年5月から済生会理事長。現在、日本障害者リハビリテーション協会会長、富山国際大学客員教授なども務めている。著書に「環境福祉学の理論と実践」(編著)「社会福祉の原理と課題」など多数。