済生会は、明治天皇が医療によって生活困窮者を救済しようと明治44(1911)年に設立しました。100年以上にわたる活動をふまえ、日本最大の社会福祉法人として全職員約64,000人が40都道府県で医療・保健・福祉活動を展開しています。
済生会は、405施設・437事業を運営し、66,000人が働く、日本最大の社会福祉法人です。全国の施設が連携し、ソーシャルインクルージョンの推進、最新の医療による地域貢献、医療と福祉のシームレスなサービス提供などに取り組んでいます。
主な症状やからだの部位・特徴、キーワード、病名から病気を調べることができます。症状ごとにその原因やメカニズム、関連する病気などを紹介し、それぞれの病気について早期発見のポイント、予防の基礎知識などを専門医が解説します。
全国の済生会では初期臨床研修医・専攻医・常勤医師、看護師、専門職、事務職や看護学生を募集しています。医療・保健・福祉にかかわる幅広い領域において、地域に密着した現場で活躍できます。
一般の方の心身の健康や暮らしの役に立つ情報を発信中。「症状別病気解説」をはじめとして、特集記事や家族で楽しめる動画など、さまざまなコンテンツを展開しています。
元旦に届いた数枚の年賀状には「高齢になったので、勝手ながら今年をもって年賀状の交換を止めさせていただく」と記載されていた。中には環境保護のためや配達をする人の負担軽減のためという理由が付加されていた。
企業の虚礼的な年賀状も大幅に減少した。亡くなる人も増え、交換する年賀状も、めっきり減った。
日本郵便の年賀状の販売枚数は、著しく減少している。ピークだったのが2003年の44億枚に対して今年は14億枚だという。
デジタル世代の若い層の紙離れも大きい。年賀状はもとより日常の手紙さえも書いたことがない若者が増えてきた。日本文化は、大きく変化しつつある。
年賀状全盛の時代は、12月に入ると、職場で「年賀状をまだ書いてなくてね」と焦る声をよく聞いた。私が官庁勤めをしていたころは、12月は予算関係作業のため1年で最も多忙な時である。年賀状を書き始めるのは、御用納めに入ってからが常だった。
そのため毎年、書き終えてポストに投函し終わるのは、除夜の鐘が鳴っているころ。私と同様な人が多いと見えて、ポストは投函された年賀状でいっぱいだった。
それほどまでに苦労して書き終えた年賀状は、それなりに報われたと感じることが多かった。
私は、できるかぎり一人ひとり伝えたいことを余白に書く。仕事で悩んでいる、闘病中である、親の介護をしているなど、人はさまざまな問題を持っている。簡単な言葉でも相手に励ましとなればと考えている。私もほんのわずかな添え書きに元気をもらった。
以前は思いがけない人から年賀状が送られてくることがあった。
長く交流が途絶えていた人からの年賀状はびっくりもしたが、懐かしく嬉(うれ)しかった。年賀状1枚で心が再び繋(つな)がったような気がした。改まって手紙は書けない。年賀状だから出せたのだろう。
パーティで懇談した人から送られてくる年賀状もあった。互い気が合い、同じ目標で協力できるのではと自分も思っていた場合などは、年賀状が縁を築いてくれた。
メールは便利だが、年賀状ならではの効果がある。はがきの料金が63円から85円へと大幅値上げが検討されているが、それだけに来年の年賀状は心を込めて書こう。
1946年富山県高岡市生まれ。69年東京大学法学部卒業、厚生省に入る。自治省、総務庁、在英日本大使館、厚生省社会・援護局長などを経て2003年環境事務次官に就任。08年5月から済生会理事長。現在、日本障害者リハビリテーション協会会長、富山国際大学客員教授なども務めている。著書に「環境福祉学の理論と実践」(編著)「社会福祉の原理と課題」など多数。