社会福祉法人 恩賜財団 済生会(しゃかいふくしほうじん おんしざいだん さいせいかい)社会福祉法人 恩賜財団 済生会(しゃかいふくしほうじん おんしざいだん さいせいかい)

済生春秋 saiseishunju
2024.04.09

第134回 引っ越しの季節

 3月末は方々(ほうぼう)で引っ越しの風景が見られる。2024年問題で運転手が不足し、今は引っ越しも楽ではないらしい。
 私は、これまで14回引っ越しをした。引っ越しにはエネルギーを非常に消耗するので、できるだけ避けたいと思ってきた。
 葛飾北斎は、生涯93回引っ越ししたことで有名だ。家の片づけが苦手だったので、起居する場所がなくなると転居したと伝えられる。専門家は発達障害の典型例に挙げる。きっと厄介な引っ越し作業は、終生北斎の面倒をみた娘のお栄が引き受けたのだろう。

 14回の引っ越しは、それぞれ思い出がある。
 中でも印象深いのは1984年7月、3年間の大使館勤務を終えてロンドンを離れたときである。家具備え付き住宅だったので、日本に持ち帰る大きなものはなかった。それでも衣類、食器、書籍等こまごましたものがたくさんあった。記念になると思い、できるだけ日本に持ち帰ることにした。
 海外引っ越し専門業者は、大きな段ボール箱に手際よく詰めていく。積み上げられた箱は、部屋の半分くらいになった。
 トラックで運び去られた後、家の中はがらんとした。急に寂しさがこみあげてきた。もうこの家に住むことはないのだ。本当に楽しく満ち足りた時間を過ごさせてくれた家だった。
 今でもイギリスを再訪し、この家と再会したいと妻といつも話し合う。

 18年前、国家公務員を退官し、22年間住んだ国家公務員住宅を去るときも感慨深かった。この住宅は古かったが、交通の便がよく、不満はなかった。
 時々新聞記者が夜遅く取材に訪れた。メディアの関心事項が分かるので、歓迎した。
 狭い部屋を眺めては「局長がこんなところに住んでいるのですか」と驚いたように話す人もいた。玄関先で「〇〇新聞ですが」と名乗った記者に対して妻は、新聞代の集金だと間違えてお金を渡そうとしたこともあった。

 いよいよ公務員住宅を引き払うため荷物をすべて運び出し、何もなくなった部屋で一人ポツンと座り、目をつぶり、じっと22年間を回想した。国家公務員としては思い残すことは何もなかった。
 結婚してから最も長く住んだのもこの住宅だった。楽しいことも苦しいこともたくさんあった。
 誰もいなくなり、静かになった部屋のどこかから家族の楽しく談笑する声が聞こえてくるような気がした。

炭谷 茂

すみたに・しげる

1946年富山県高岡市生まれ。69年東京大学法学部卒業、厚生省に入る。自治省、総務庁、在英日本大使館、厚生省社会・援護局長などを経て2003年環境事務次官に就任。08年5月から済生会理事長。現在、日本障害者リハビリテーション協会会長、富山国際大学客員教授なども務めている。著書に「環境福祉学の理論と実践」(編著)「社会福祉の原理と課題」など多数。

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