第139回 栄華の跡
今年も夏は、過ぎていく。今年は、昨年よりも厳しい夏だった。台風の襲来や南海トラフ地震注意報の発令があったが、海水浴場にはたくさんの人が押し掛けた。
夏休みが終わった今ごろは、静寂さを取り戻しただろうか。
50年ほど前の8月末、富山県高岡市の雨晴(あまはらし)海岸に一人で行った。小さいころは毎年、家族で海水浴に行って楽しかった思い出の地だ。当時は家業が安定し、私の人生で最も幸せな時期だった。
夏になれば、県内外からの海水浴客で埋め尽くされる。遠浅の海で水質が優れ、砂浜は浸食が進むが、海水浴客が楽しむには十分である。義経と弁慶が、東北平泉への逃亡行の途中で雨宿りしたと伝えられる洞窟がある。
8月中旬を過ぎると、土用波が押し寄せ、海水浴客はいなくなる。浜茶屋は、撤去される。砂浜には人の姿はなかった。1週間前までは元気な声が飛び交ったのとは対照的だ。
この海岸で1978年8月15日夕方5時ごろ北朝鮮による男女2人の拉致未遂とみられる事件が、発生した。そんな事件が起きても不思議でない環境である。
暗黒の日本海の底から湧き出るような波が、荒々しく打ち寄せていた。太陽が落ち始めた空は、暗くなり始めた。賑(にぎ)わったころとの落差は、大きい。
日本各地に廃城跡が残されている。堀や石垣がある。何もない広場だけで、「〇〇城跡」という案内版だけのものも多い。それでも武将が権勢を誇った時代を想像すると、時空を超えて当時のざわめきが想像できる。
芭蕉の「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」も同じような気持ちを詠んだのだろう。
ヨーロッパにも各地に廃城がある。イギリスで暮らしていたとき、いくつかの廃城を訪ねた。日本と違い、城壁の一部が崩れたままで残っていることもある。
スコットランドのネス湖は、ネッシーで知られるが、そこにも13世紀創設の廃城がある。崩れた城壁が残り、廃城と透明度の低いネス湖が、ネッシーの舞台としてふさわしい。
栄華を誇った地を訪れると、平家物語が語る「盛者(じょうしゃ)必衰の理(ことわり)」を実感する。「人生もそんなもんだ」と達観し、なにかほっとするのは私だけだろうか。(8月31日執筆)
すみたに・しげる
1946年富山県高岡市生まれ。69年東京大学法学部卒業、厚生省に入る。自治省、総務庁、在英日本大使館、厚生省社会・援護局長などを経て2003年環境事務次官に就任。08年5月から済生会理事長。現在、日本障害者リハビリテーション協会会長、富山国際大学客員教授なども務めている。著書に「環境福祉学の理論と実践」(編著)「社会福祉の原理と課題」など多数。