社会福祉法人 恩賜財団 済生会(しゃかいふくしほうじん おんしざいだん さいせいかい)社会福祉法人 恩賜財団 済生会(しゃかいふくしほうじん おんしざいだん さいせいかい)

済生春秋 saiseishunju
2024.08.08

第138回 祭りの遠景

 8月に入ると方々(ほうぼう)から祭りの音が聞こえてくる。新型コロナで中断していた祭りが各地で再開され、参加者は、以前より増えたようだ。
 浴衣姿の若い子が目立つ。外国人が多くなったのも大きな変化だ。町は、活気を取り戻した。

 祭りと言えば、尋常小学唱歌「村祭」を思い出す。収穫後の秋祭りを題材にしているが、昭和20年代の祭りの雰囲気は、この唱歌そのものだ。
 私の家は、商店街にあった。夏の祭日には道路沿いに奇麗なぼんぼりが飾られた。商店の宣伝を兼ねていた。夜になると、多くの町の人が踊りながら通りを練り歩いた。踊り手は、知っている人ばかりだが、みんな楽しそうだった。
 近親者を戦争で失った人もいただろう。終戦の混乱から復興と平和の確かな手応えをかみしめていた。
 子どもたちのために町内の寺院の境内で肝試しや宝物探しなどが、開催された。ボクたちは、夏休みの一日を無邪気に楽しんだ。

 農家の同級生が、夏休みの時に開かれた村の祭りに誘ってくれた。「村祭」で歌われる鎮守の森で開かれた。スギやヒノキなど高木からなる鬱蒼(うっそう)とした森に囲まれた小さな古い神社があった。
 夜の帳が降りる頃から祭りが本格化した。鐘や太鼓が鳴り始め、村人がやぐらを中心にして盆踊りが始まった。踊りの上手下手は構わない。薄暗いから誰だか分からないし、誰も他人のことは構ってなんかいない。友達と一緒に輪の中に入って自分流に踊っていた。
 踊りに疲れると、並んでいた屋台をのぞいた。綿菓子なんかを買ったのだろうか。祭りの音が途絶えると、順調に稲が育った田んぼからカエルの鳴き声が聞こえてきた。大変大きな音だった。
 
 商店街の祭りは楽しかったが、一度だけ行った村の祭りの記憶の方が鮮明に残る。先人の苦労を偲び、豊作を祝う気持ちが、祭りに凝縮されていた。鎮守の森は、村人の精神の拠り所だった。
 しかし、今日では村から多くの人が去り、宅地化が進み、村の姿が大きく変わったと伝え聞く。
 地方に旅をすると、車窓から鎮守の森を見つける。そこでは今も村祭りが行われているのだろうか。鎮守の森に幼いころの私の幻影を見つけようとしている。

炭谷 茂

すみたに・しげる

1946年富山県高岡市生まれ。69年東京大学法学部卒業、厚生省に入る。自治省、総務庁、在英日本大使館、厚生省社会・援護局長などを経て2003年環境事務次官に就任。08年5月から済生会理事長。現在、日本障害者リハビリテーション協会会長、富山国際大学客員教授なども務めている。著書に「環境福祉学の理論と実践」(編著)「社会福祉の原理と課題」など多数。

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