済生会は、明治天皇が医療によって生活困窮者を救済しようと明治44(1911)年に設立しました。100年以上にわたる活動をふまえ、日本最大の社会福祉法人として全職員約64,000人が40都道府県で医療・保健・福祉活動を展開しています。
済生会は、405施設・437事業を運営し、66,000人が働く、日本最大の社会福祉法人です。全国の施設が連携し、ソーシャルインクルージョンの推進、最新の医療による地域貢献、医療と福祉のシームレスなサービス提供などに取り組んでいます。
主な症状やからだの部位・特徴、キーワード、病名から病気を調べることができます。症状ごとにその原因やメカニズム、関連する病気などを紹介し、それぞれの病気について早期発見のポイント、予防の基礎知識などを専門医が解説します。
全国の済生会では初期臨床研修医・専攻医・常勤医師、看護師、専門職、事務職や看護学生を募集しています。医療・保健・福祉にかかわる幅広い領域において、地域に密着した現場で活躍できます。
一般の方の心身の健康や暮らしの役に立つ情報を発信中。「症状別病気解説」をはじめとして、特集記事や家族で楽しめる動画など、さまざまなコンテンツを展開しています。
8月に入ると方々(ほうぼう)から祭りの音が聞こえてくる。新型コロナで中断していた祭りが各地で再開され、参加者は、以前より増えたようだ。
浴衣姿の若い子が目立つ。外国人が多くなったのも大きな変化だ。町は、活気を取り戻した。
祭りと言えば、尋常小学唱歌「村祭」を思い出す。収穫後の秋祭りを題材にしているが、昭和20年代の祭りの雰囲気は、この唱歌そのものだ。
私の家は、商店街にあった。夏の祭日には道路沿いに奇麗なぼんぼりが飾られた。商店の宣伝を兼ねていた。夜になると、多くの町の人が踊りながら通りを練り歩いた。踊り手は、知っている人ばかりだが、みんな楽しそうだった。
近親者を戦争で失った人もいただろう。終戦の混乱から復興と平和の確かな手応えをかみしめていた。
子どもたちのために町内の寺院の境内で肝試しや宝物探しなどが、開催された。ボクたちは、夏休みの一日を無邪気に楽しんだ。
農家の同級生が、夏休みの時に開かれた村の祭りに誘ってくれた。「村祭」で歌われる鎮守の森で開かれた。スギやヒノキなど高木からなる鬱蒼(うっそう)とした森に囲まれた小さな古い神社があった。
夜の帳が降りる頃から祭りが本格化した。鐘や太鼓が鳴り始め、村人がやぐらを中心にして盆踊りが始まった。踊りの上手下手は構わない。薄暗いから誰だか分からないし、誰も他人のことは構ってなんかいない。友達と一緒に輪の中に入って自分流に踊っていた。
踊りに疲れると、並んでいた屋台をのぞいた。綿菓子なんかを買ったのだろうか。祭りの音が途絶えると、順調に稲が育った田んぼからカエルの鳴き声が聞こえてきた。大変大きな音だった。
商店街の祭りは楽しかったが、一度だけ行った村の祭りの記憶の方が鮮明に残る。先人の苦労を偲び、豊作を祝う気持ちが、祭りに凝縮されていた。鎮守の森は、村人の精神の拠り所だった。
しかし、今日では村から多くの人が去り、宅地化が進み、村の姿が大きく変わったと伝え聞く。
地方に旅をすると、車窓から鎮守の森を見つける。そこでは今も村祭りが行われているのだろうか。鎮守の森に幼いころの私の幻影を見つけようとしている。
1946年富山県高岡市生まれ。69年東京大学法学部卒業、厚生省に入る。自治省、総務庁、在英日本大使館、厚生省社会・援護局長などを経て2003年環境事務次官に就任。08年5月から済生会理事長。現在、日本障害者リハビリテーション協会会長、富山国際大学客員教授なども務めている。著書に「環境福祉学の理論と実践」(編著)「社会福祉の原理と課題」など多数。