社会福祉法人 恩賜財団 済生会(しゃかいふくしほうじん おんしざいだん さいせいかい)社会福祉法人 恩賜財団 済生会(しゃかいふくしほうじん おんしざいだん さいせいかい)

済生春秋 saiseishunju
2024.11.05

第141回 感傷旅行

 最近、思い出の土地をもう一度訪れたいという気持ちに駆られる。
 今から45年ほど前、福井県庁に出向し3年間福井市で過ごした。土日もなく、深夜に及ぶ仕事が多かった霞が関での生活に比べると、別世界だった。ゆったりとした日々が送れた。
 日曜日になると、幼稚園に通っていた子どもを自転車に乗せて福井市中心部にある足羽山に連れていった。頂上までには途中で自転車を降りて、子どもを乗せたまま引っ張って登った。
 頂上に着くと、眼下に足羽川が流れ、福井市内が見下ろせた。動物園などがあって、子どもはいつも喜んでいた。

 たまには妻も一緒に朝倉遺跡まで歩いた。家から1時間半以上はかかっただろうか。田園風景を眺め、野鳥の囀(さえず)りを聞きながら、のんびりと歩いた。東京では味わえないカントリーウォークである。

 県庁での仕事の方は、青二才の課長が無茶なことをやっても職員の方々は、温かく見守ってくれた。
 楽しい記憶だけが残る3年間の福井生活だった。

 10月上旬、福井市に出張した。帰りの新幹線の出発まで2時間程度あったので、かつて住んだ県職員住宅を訪ねてみたくなった。
 県職員住宅は、福井駅の東口から一本道で、歩いて15分程度だったと記憶していた。
 県庁への出勤で3年間歩いた道である。記憶を蘇らせながらゆっくり歩いた。ここに確か福井名物のソースカツ丼専門のお店があったはずだが、見つからない。子どもがよく出入りした本屋や文房具店もない。でも高志高校は、記憶どおりの位置あった。

 目的地には思っていたよりも長い時間がかかった。
 私たちが住んだ県職員住宅は、全く異なる民家に姿を変えていた。土地を民間に売却されたのだろう。隣接していた「館」という喫茶店もなかった。45年前の記憶と一致するのは、電柱に書かれた住居表示だけだった。
 45年という歳月は、やはり長かった。しかし、長く続く道を吹き抜ける秋風は、昔のように清々しい。楽しく過ごした若いころの日々を思い出させてくれるには十分だった。

炭谷 茂

すみたに・しげる

1946年富山県高岡市生まれ。69年東京大学法学部卒業、厚生省に入る。自治省、総務庁、在英日本大使館、厚生省社会・援護局長などを経て2003年環境事務次官に就任。08年5月から済生会理事長。現在、日本障害者リハビリテーション協会会長、富山国際大学客員教授なども務めている。著書に「環境福祉学の理論と実践」(編著)「社会福祉の原理と課題」など多数。

  • Twitter
  • Facebook
  • LINE