済生会は、明治天皇が医療によって生活困窮者を救済しようと明治44(1911)年に設立しました。100年以上にわたる活動をふまえ、日本最大の社会福祉法人として全職員約64,000人が40都道府県で医療・保健・福祉活動を展開しています。
済生会は、405施設・437事業を運営し、66,000人が働く、日本最大の社会福祉法人です。全国の施設が連携し、ソーシャルインクルージョンの推進、最新の医療による地域貢献、医療と福祉のシームレスなサービス提供などに取り組んでいます。
主な症状やからだの部位・特徴、キーワード、病名から病気を調べることができます。症状ごとにその原因やメカニズム、関連する病気などを紹介し、それぞれの病気について早期発見のポイント、予防の基礎知識などを専門医が解説します。
全国の済生会では初期臨床研修医・専攻医・常勤医師、看護師、専門職、事務職や看護学生を募集しています。医療・保健・福祉にかかわる幅広い領域において、地域に密着した現場で活躍できます。
一般の方の心身の健康や暮らしの役に立つ情報を発信中。「症状別病気解説」をはじめとして、特集記事や家族で楽しめる動画など、さまざまなコンテンツを展開しています。
その週の平日は、全国的に雨がちな日が続いたが、日曜日の10月4日は、すっきりした秋晴れだった。
この日は、大分県別府市に本部がある社会福祉法人「太陽の家」の創立50周年記念式典が、天皇皇后両陛下のご臨席のもと、挙行された。式典に参列した私は、「太陽の家」が障害者の生き方として理想を目指して着実に前進していることを知って感動した。
「太陽の家」は、昭和40年、中村裕博士によって設立された。整形外科医だった中村博士は、イギリスのストーク・マンデビル病院で障害者のリハビリにスポーツを取り入れ、成果を上げていることに驚いた。
私は、昭和58年にストーク・マンデビルを訪れたが、まち全体に障害者の医療やスポーツの施設があり、障害者に住みやすいまちになっていることに衝撃を受けた。中村博士も同様だったのだろう。
帰国後、中村博士は、昭和39年の東京オリンピックの後に第2回パラリンピックを東京で開催するなど障害者スポーツの普及のために行動した。日本の障害者スポーツの基礎は、彼が築いたと言える。
東京パラリンピックは、成功裡(り)に終わった。しかし、大会終了後の欧米の選手の顔は明るいが、日本人の表情は冴(さ)えない。欧米の選手は、健常者と一緒に働く職場に戻るが、日本人の大半は、福祉施設や家に戻るからである。
中村博士の次の目標は、障害者が健常者と同様な仕事ができる職場づくりに移った。いくつかの企業の協力を得て、障害者が生きがいを持って働ける職場を作っていった。
今では「太陽の家」は、障害者1000人、高齢者100人など1800人が働くまでに発展した。
中村博士の理念は、「障害者に保護ではなく、機会を」である。失った機能を惜しむのではなく、残された機能を伸ばす。障害者に夢と希望をもたらした。
「太陽の家」にはス-パーマーケットや銀行もある。地域には健常者も居住し、利用する。私が生涯を賭けて、日本での実現を志している「ソーシャルインクルージョン(社会的包摂)」の土台が半世紀の時空を経て完成されつつある。
澄み通る秋空のように清々しい別府での一日だった。
1946年富山県高岡市生まれ。69年東京大学法学部卒業、厚生省に入る。自治省、総務庁、在英日本大使館、厚生省社会・援護局長などを経て2003年環境事務次官に就任。08年5月から済生会理事長。現在、日本障害者リハビリテーション協会会長、富山国際大学客員教授なども務めている。著書に「環境福祉学の理論と実践」(編著)「社会福祉の原理と課題」など多数。