社会福祉法人 恩賜財団 済生会(しゃかいふくしほうじん おんしざいだん さいせいかい)社会福祉法人 恩賜財団 済生会(しゃかいふくしほうじん おんしざいだん さいせいかい)

済生春秋 saiseishunju
2015.11.11

第34回 戦国を駆け抜けた武将

 私が18歳まで過ごした富山県高岡市の中心に、市民の憩いの場になっている古城公園がある。かつて高岡城が建てられ、春には桜が満開になる。公園の入り口に十字架を懐(いだ)くキリシタン大名の高山右近像が建てられている。浄土真宗の信徒が多数を占める北陸に右近像が存在するのは、意外だろう。
 バテレン追放令によって播磨(はりま)の領地を追われた右近は、前田利家に招かれ、北陸に26年間過ごす。利家の嫡男の利長からも手厚い庇護(ひご)を受けた。右近は、築城術に長(た)けていたので、利長が隠居のために建立した高岡城の設計を任された。
 高岡城は、二代将軍・徳川秀忠の一国一城令によって壊される運命になるが、敷地や濠(ほり)の配置などから城の壮大さ、防備の完璧さを知ることができる。

 10月31日、東京のカトリック目黒教会でオペラ「高山右近―至福の王者―」の公演があった。これは加賀乙彦さんの原作をもとに石多エドワードさんが台本を書いたオペラである。エドワードさんから招きを受けたので、家族で出向いた。加賀乙彦さんも来られたので、お話をすることができた。
 荘厳な教会の雰囲気は、オペラの内容とぴったりと調和し、興趣を盛り上げた。声量豊かな出演者の声が教会の広大な空間に響き渡る。長い歌唱時間でも声が枯れることがないのは、素人の私には驚きである。

 オペラは、右近の生涯の節目の出来事を演じるので、右近の人生、思想、行動を知ることができる。
 彼は、多彩な顔を持つ。歴戦の戦いに勝ち抜いた武将、築城術の達人、キリスト教の揺るぎのない信仰者、「利休七哲」と称された茶道家など戦国大名としては異色である。
 何よりも彼の特色は、戦国の時代にあって身分の低い人にも分け目なく示した人に対する愛を一生持ち続けたことだろう。この心が弾圧を受けても信仰を捨てなかった理由であり、茶室では身分の違いを持ち込まない茶道に魅(ひ)かれた理由だろう。

 右近は、行くところあらゆる人から愛された。国外追放先のマニラでも大歓迎を受けた。今日の私でも、その訳をごく自然に理解することができる。爽やかな人物像が伝わってくる。戦国時代の奇跡の人物である。

炭谷 茂

すみたに・しげる

1946年富山県高岡市生まれ。69年東京大学法学部卒業、厚生省に入る。自治省、総務庁、在英日本大使館、厚生省社会・援護局長などを経て2003年環境事務次官に就任。08年5月から済生会理事長。現在、日本障害者リハビリテーション協会会長、富山国際大学客員教授なども務めている。著書に「環境福祉学の理論と実践」(編著)「社会福祉の原理と課題」など多数。

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