社会福祉法人 恩賜財団 済生会(しゃかいふくしほうじん おんしざいだん さいせいかい)
済生春秋 saiseishunju
2017.01.05

第47回 記憶の残照

 小学生のとき、正月になると、3歳上の姉が近くの神社に初詣に連れて行ってくれた。小さい子どもには特段の願い事があったわけでない。神社のにぎわいに引かれただけだ。月光仮面のお面、ラムネ、カルメ焼き、焼きそばなどのたくさんの露店が参道筋に並び、威勢のいい掛け声が飛び交っていた。
 神社は、富山県高岡市の中心部に位置する高ノ宮神社である。10歳前後の子どもには神社は、巨大な存在だった。60年前の記憶を確かめたいと、高岡に滞在したときにこの神社を訪ねる。催事のないときの神社は、静寂さが支配している。記憶に残る神社と現実の姿の落差に驚く。「こんなに狭隘(きょうあい)だったのか」と。
 姉は、天性の優しさと清楚(せいそ)な美しさを持っていたが、50歳代半ばに世を去った。この神社は、私にとっては大きく、華やかでなければならないのだ。

 旧臘(きゅうろう)の糸魚川市での大火災は、自分の幼いころの記憶を蘇らせた。富山県は、糸魚川市と同様にフェーン現象による大火災が多い。
 やはり小学生のころ近所で火災があった。折からの強風に煽(あお)られて火の手は、広がっていった。自宅から100メートルは、離れていただろうか。私は、のんびり構えていた。
 ただ母は、数個のバケツに水を入れ、手に箒(ほうき)を持って構えていた。
「火の粉が飛んでくるぞ」と鬼の形相だった。過去に糸魚川市の火災のような経験があったのだろう。母の気迫に圧倒された。
 実際は、社会的事件としては記録されない規模だったが、私の記憶には糸魚川市の大火災のように刻み込まれた。

 誰でも小さなころに登った故郷の山が記憶に残り、特別の存在である。多くの人は、故郷が山と結びついて記憶される。これは古今東西、変わらない。啄木の「ふるさとの山に向かひて言ふことなし」は、如実にこれを表現する。
 私の場合は、標高274メートルの二上山である。低い山で、市内が一望できるが、植生、地質などで特筆するものはない。しかし、私は、何十回も駈け登ったこの低い山が、父母など近親者が世を去った今、故郷を思う唯一の存在になった。

 人の幼い記憶は、年を経つごとに純化され、現実とは乖離(かいり)していく。私には記憶に残った方が真実で大切なのだ。

 

炭谷 茂

すみたに・しげる

1946年富山県高岡市生まれ。69年東京大学法学部卒業、厚生省に入る。自治省、総務庁、在英日本大使館、厚生省社会・援護局長などを経て2003年環境事務次官に就任。08年5月から済生会理事長。現在、日本障害者リハビリテーション協会会長、富山国際大学客員教授なども務めている。著書に「環境福祉学の理論と実践」(編著)「社会福祉の原理と課題」など多数。

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