社会福祉法人 恩賜財団 済生会(しゃかいふくしほうじん おんしざいだん さいせいかい)社会福祉法人 恩賜財団 済生会(しゃかいふくしほうじん おんしざいだん さいせいかい)

済生春秋 saiseishunju
2020.04.01

第86回 桜の悲しみ

 今春の桜ほど注目を集めたことはない。
 開花は、平年よりも早かったが、都内の公園では、宴会自粛が求められた。
 私が居住する東京都目黒区には旧陸軍の広大な練兵場があった。その名残だろうか。マンションの近くに3本の老いた桜の大木が、どっしりと立っている。ソメイヨシノは、寿命が短いというけれど、今年も四方に張り出した太い枝から空を覆うばかりの花が咲いた。
 近くにはテレビで頻繁に伝えられる目黒川沿いの桜並木がある。新型コロナ感染に無頓着なのだろうか、宴会をする人はいなかったが、ビール片手にスマホ撮影する人であふれた。
 この桜並木を若い人気アイドルとすれば、3本の老木は、歴史の荒波をくぐってきた名優だろうか。あのヘミングウェイの「老人と海」の老人の姿だ。

 桜の季節になると、7歳ごろ家族で行った古城公園での花見を思い出す。
 古城公園は、富山県高岡市の市街地の中心に位置し、前田利長が築城した高岡城跡の公園である。今でも春になれば、たくさんの桜が咲き乱れる。
 4月中旬ごろだった。心地よい季節である。古城公園は、かなりの人でにぎわっていた。薄明るいぼんぼりに照らされた夜桜は、美しかった。音が時々変調するスピーカーから流れる民謡や歌謡曲は、華やいだ雰囲気を醸し出した。
 公園の片隅には戦闘機の残骸が放置されたままだったが、敗戦の荒廃から徐々に復興を示し始めた時期である。両親は、苦しい生活の中でも子どもたちを喜ばせようと思ったのだろう。
 料理が得意でなかった母が、それでも時間をかけて作った重箱の料理は、子どもたちにとっては滅多にないごちそうだった。父は、下戸だったので、酒を飲まなかった。5人の子どもたちは、はしゃぐでもなく、丸太のベンチに座って桜の花を見つめていた。風に舞う花びらは、美しかったけれど、流れ落ちていく姿は、寂しかった。

 家族での花見は、この一度だけで翌年以降続けられることはなかった。日本経済の発展と逆行するように家業は、傾いていった。
 でも私にとってこの一度だけで十分だった。亡くなって久しい両親の目いっぱいの愛情が、私の心に刻み込まれているからだ。

炭谷 茂

すみたに・しげる

1946年富山県高岡市生まれ。69年東京大学法学部卒業、厚生省に入る。自治省、総務庁、在英日本大使館、厚生省社会・援護局長などを経て2003年環境事務次官に就任。08年5月から済生会理事長。現在、日本障害者リハビリテーション協会会長、富山国際大学客員教授なども務めている。著書に「環境福祉学の理論と実践」(編著)「社会福祉の原理と課題」など多数。

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