社会福祉法人 恩賜財団 済生会(しゃかいふくしほうじん おんしざいだん さいせいかい)社会福祉法人 恩賜財団 済生会(しゃかいふくしほうじん おんしざいだん さいせいかい)

済生春秋 saiseishunju
2020.03.03

第85回 夢を追う

 新型コロナウイルスの猛威が世界を襲い、暗鬱(あんうつ)な空気が社会を支配する。こんなときでも季節は巡り、今月には多くの若者は、学び舎を去り、社会に旅立つ。
 たとえ今は暗くても、己の夢の実現に向けて、弛(たゆ)まず歩き出すことが肝心だ。

 15年前くらいだったろうか。佐々木寅夫さんから光風会の展覧会の招待状が送られてきたので、国立美術館に行った。彼は、放射線影響研究所に勤務しながら油絵制作に励み、画壇での地位を確立していた。
 彼とは、被爆者支援の関係で知り合った。広島を訪れたとき、「ルドンの作品が好きだ」と言ったら、ひろしま美術館を案内してくれた。プロの画家だったが、押しつけがましい解説はしなかった。
「この抜けるような青い空が好きでね」と、ルドンの「ペガサス 岩上の馬」を見ながら話す私に、ただ黙って頷いていた。
 広島で生まれた彼は、亡くなるまで絵画を通じて原爆の悲惨さを訴え続けた。展示されたその年の作品も同様に、赤の色彩を全面に使い、中心に据えた憂いを帯びるチンパンジーの顔は、人類の愚かさを憐れんでいた。
 鮮やかな色彩感覚は、ルドンの作品と同じだった。

 その後、館内に展示されたたくさんの作品を見ながら、出口へ急いだ。
 途中「おや?」と感じる作品が目に飛び込んできた。私の出身地である富山県砺波平野の散居村を描いた作品だ。穏やかな春の日、のんびりとした平和な田舎の風景である。佐々木さんの絵画とは対照的だ。
「作者は誰か?」と、目を近づけると、氷見長徳と書いてある。なんと半世紀前の高校の同級生の名前ではないか。高校時代から美術の成績は、校内では抜き出ていた。いつも静かに風景画を描いている姿が、脳裏に浮かんできた。
 高校卒業後、会ったことも噂(うわさ)を耳にすることもなかった。
 氷見君は、ずっと絵画に寄せた夢を追いかけていたのだ。故郷に留まり、富山県の農村の良さを絵画で表現してきた。

 生涯、若いころの夢を追いかけられることは、幸せだ。
 分野は異なるが、障害や貧困などで悩み、孤立する人たちとともに、人間の尊厳性を得るための活動を続けてきた私は、いつもささやかな幸せを感じている。

炭谷 茂

すみたに・しげる

1946年富山県高岡市生まれ。69年東京大学法学部卒業、厚生省に入る。自治省、総務庁、在英日本大使館、厚生省社会・援護局長などを経て2003年環境事務次官に就任。08年5月から済生会理事長。現在、日本障害者リハビリテーション協会会長、富山国際大学客員教授なども務めている。著書に「環境福祉学の理論と実践」(編著)「社会福祉の原理と課題」など多数。

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