社会福祉法人 恩賜財団 済生会(しゃかいふくしほうじん おんしざいだん さいせいかい)社会福祉法人 恩賜財団 済生会(しゃかいふくしほうじん おんしざいだん さいせいかい)

済生春秋 saiseishunju
2015.04.06

第27回 引っ越し事情

 3月末から4月上旬は、引っ越しシーズンだ。
 私は、社会に出てから今日まで10回の引っ越しをした。引っ越しは、心身に大きな負担をかける。独身時代は、荷物が少なく、友人の自家用車で済んだ。結婚してから荷物が年齢とともに増え、重労働になった。引っ越し予定日の1月前くらいから余裕をもって準備するのだが、計画どおりには進まず、前日に至ってしまう。妻と一緒に徹夜の作業になるのが常だった。

 引っ越しの都度、荷物は整理するようにした。遊牧民のように生活の必需品のみにするのが私の理想の姿だ。引っ越しを繰り返しているうちに、旅の思い出の品物や写真は、消えてしまった。20歳までの写真は、1枚も残っていない。これを知った中学校の恩師は、卒業アルバムをコピーして送ってくださった。
 本と資料だけは、仕事や研究に必要なので、保管している。いつのまにか膨大な量になり、家の半分以上を占めている。どこに何があるのか分からない状態だ。

 運送業者が荷物を運び終えると、家の中ががらんとする。ほっとする。同時にこの住まいで経験した楽しかったこと、苦しかったことが走馬灯のように脳裏に浮かんでくる。

 32歳から35歳まで福井県庁に出向した。住まいだった県職員住宅を引っ越すときは、知事をはじめ上司や同僚は、若い課長に思い切り仕事させてくれたので、楽しいことだけが浮かんできた。親切な近所の人たちに囲まれて過ごした家族も同様だった。
 3年間勤務をしたロンドンの住宅を離れるときの海を越える引っ越しは、大作業だった。妻が親しくしていた夫人方が手伝ってくれた。荷物はトラック1台分になった。思い出のいっぱい詰まった部屋、台所、風呂場、庭などの写真を撮った。もう二度とロンドンで生活することはないだろうと思うと寂しくなった。10歳の長男は、泣いてしまった。泣きたくなるのは親も同様だった。

 最も長く住んだのは、国家公務員住宅である。退官するまでの22年間だった。長かっただけに楽しいこともあったが、苦しいこと、嫌だったことのほうがはるかに多かった。脅迫や嫌がらせの電話もあった。深夜に時々マスコミの記者の訪問を受けた。職業と言えども「大変だなあ」と、つい同情したくなった。
 荷物を全て搬出して何もなくなった部屋に佇(たたず)むと、静寂な空間から20年前の家族の明るい談笑の響きが聞こえてくるようだった。

炭谷 茂

すみたに・しげる

1946年富山県高岡市生まれ。69年東京大学法学部卒業、厚生省に入る。自治省、総務庁、在英日本大使館、厚生省社会・援護局長などを経て2003年環境事務次官に就任。08年5月から済生会理事長。現在、日本障害者リハビリテーション協会会長、富山国際大学客員教授なども務めている。著書に「環境福祉学の理論と実践」(編著)「社会福祉の原理と課題」など多数。

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