済生会は、明治天皇が医療によって生活困窮者を救済しようと明治44(1911)年に設立しました。100年以上にわたる活動をふまえ、日本最大の社会福祉法人として全職員約64,000人が40都道府県で医療・保健・福祉活動を展開しています。
済生会は、405施設・437事業を運営し、66,000人が働く、日本最大の社会福祉法人です。全国の施設が連携し、ソーシャルインクルージョンの推進、最新の医療による地域貢献、医療と福祉のシームレスなサービス提供などに取り組んでいます。
主な症状やからだの部位・特徴、キーワード、病名から病気を調べることができます。症状ごとにその原因やメカニズム、関連する病気などを紹介し、それぞれの病気について早期発見のポイント、予防の基礎知識などを専門医が解説します。
全国の済生会では初期臨床研修医・専攻医・常勤医師、看護師、専門職、事務職や看護学生を募集しています。医療・保健・福祉にかかわる幅広い領域において、地域に密着した現場で活躍できます。
一般の方の心身の健康や暮らしの役に立つ情報を発信中。「症状別病気解説」をはじめとして、特集記事や家族で楽しめる動画など、さまざまなコンテンツを展開しています。
3月末から4月上旬は、引っ越しシーズンだ。
私は、社会に出てから今日まで10回の引っ越しをした。引っ越しは、心身に大きな負担をかける。独身時代は、荷物が少なく、友人の自家用車で済んだ。結婚してから荷物が年齢とともに増え、重労働になった。引っ越し予定日の1月前くらいから余裕をもって準備するのだが、計画どおりには進まず、前日に至ってしまう。妻と一緒に徹夜の作業になるのが常だった。
引っ越しの都度、荷物は整理するようにした。遊牧民のように生活の必需品のみにするのが私の理想の姿だ。引っ越しを繰り返しているうちに、旅の思い出の品物や写真は、消えてしまった。20歳までの写真は、1枚も残っていない。これを知った中学校の恩師は、卒業アルバムをコピーして送ってくださった。
本と資料だけは、仕事や研究に必要なので、保管している。いつのまにか膨大な量になり、家の半分以上を占めている。どこに何があるのか分からない状態だ。
運送業者が荷物を運び終えると、家の中ががらんとする。ほっとする。同時にこの住まいで経験した楽しかったこと、苦しかったことが走馬灯のように脳裏に浮かんでくる。
32歳から35歳まで福井県庁に出向した。住まいだった県職員住宅を引っ越すときは、知事をはじめ上司や同僚は、若い課長に思い切り仕事させてくれたので、楽しいことだけが浮かんできた。親切な近所の人たちに囲まれて過ごした家族も同様だった。
3年間勤務をしたロンドンの住宅を離れるときの海を越える引っ越しは、大作業だった。妻が親しくしていた夫人方が手伝ってくれた。荷物はトラック1台分になった。思い出のいっぱい詰まった部屋、台所、風呂場、庭などの写真を撮った。もう二度とロンドンで生活することはないだろうと思うと寂しくなった。10歳の長男は、泣いてしまった。泣きたくなるのは親も同様だった。
最も長く住んだのは、国家公務員住宅である。退官するまでの22年間だった。長かっただけに楽しいこともあったが、苦しいこと、嫌だったことのほうがはるかに多かった。脅迫や嫌がらせの電話もあった。深夜に時々マスコミの記者の訪問を受けた。職業と言えども「大変だなあ」と、つい同情したくなった。
荷物を全て搬出して何もなくなった部屋に佇(たたず)むと、静寂な空間から20年前の家族の明るい談笑の響きが聞こえてくるようだった。
1946年富山県高岡市生まれ。69年東京大学法学部卒業、厚生省に入る。自治省、総務庁、在英日本大使館、厚生省社会・援護局長などを経て2003年環境事務次官に就任。08年5月から済生会理事長。現在、日本障害者リハビリテーション協会会長、富山国際大学客員教授なども務めている。著書に「環境福祉学の理論と実践」(編著)「社会福祉の原理と課題」など多数。