社会福祉法人 恩賜財団 済生会(しゃかいふくしほうじん おんしざいだん さいせいかい)社会福祉法人 恩賜財団 済生会(しゃかいふくしほうじん おんしざいだん さいせいかい)

済生春秋 saiseishunju
2014.06.09

第17回 花の命

 私の好きな散歩コースに東京都と神奈川県の県境を流れる多摩川を見下ろす東京都世田谷区にある玉川台という高台がある。以前、読売巨人軍の2軍グランドが麓にあった。原始時代の遺跡が発掘されたり、古代の古墳が残っている。常緑樹が生い茂り、歩いて清々しい。
 6月になると待ちわびていたかのように紫陽花が一斉に咲く。長期間続く梅雨の憂鬱さを和らげてくれる。土の酸性度に応じて花の色は、青色を増したり、赤くなったりする。紫陽花は、長い間楽しめる花である。

 同じ世田谷区にある太子堂近辺も私の散歩コースである。太子堂は、聖徳太子像が安置されている寺院があることに由来する。大正時代、この近くに作家の林芙美子が貧困時代に居住していた。粗末な2軒長屋の借家だった。無名時代の困窮さが想像できる。
 47歳という流行作家としての最盛期に若死にする。貧困時代にぼろぼろになった心身が影響したのか。作家として経済的に豊かになってから、若いころの貧しさを埋め合わせるかのように美食を楽しんだ。むしろこの方の要素が大きかったのではないだろうか。
 「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」は、林芙美子が色紙に好んで書いた有名な文である。どんな花をイメージしたのだろうか。放浪の旅先で見た路傍の花だろうか。日本人は、人生を花と重ね合わせる。

 私の3歳上の姉は、がんで若くして亡くなった。長期間がんと闘っていた姉は、生前、無理をしつつも東京都江東区にある亀戸天神の藤棚を満開時に訪れた。「あの花は、本当に美しかった」と空(くう)を見ながら、病床でつぶやいた。深い紫色の藤の花に自分の歩んで来た人生を映したのだろうか。

 紫陽花の季節が去って久しい7月に玉川台を登ると、毎年、紫陽花の花は、夏の陽ざしを受けながら、すっかり萎(しな)びれつつも残っている。前月にはあれほどたくさんの人の称賛を受けた花は、色があせ、周囲の芥(あくた)を凝集させたかのように汚れている。道行く人は、「早く散ってしまえばいいのに」と冷淡な視線を浴びせる。
 しかし、辛抱強く残る紫陽花の花は、老い特有の侘(わ)びの美しさを私に与えてくれる。

炭谷 茂

すみたに・しげる

1946年富山県高岡市生まれ。69年東京大学法学部卒業、厚生省に入る。自治省、総務庁、在英日本大使館、厚生省社会・援護局長などを経て2003年環境事務次官に就任。08年5月から済生会理事長。現在、日本障害者リハビリテーション協会会長、富山国際大学客員教授なども務めている。著書に「環境福祉学の理論と実践」(編著)「社会福祉の原理と課題」など多数。

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