済生会は、明治天皇が医療によって生活困窮者を救済しようと明治44(1911)年に設立しました。100年以上にわたる活動をふまえ、日本最大の社会福祉法人として全職員約64,000人が40都道府県で医療・保健・福祉活動を展開しています。
済生会は、405施設・437事業を運営し、66,000人が働く、日本最大の社会福祉法人です。全国の施設が連携し、ソーシャルインクルージョンの推進、最新の医療による地域貢献、医療と福祉のシームレスなサービス提供などに取り組んでいます。
主な症状やからだの部位・特徴、キーワード、病名から病気を調べることができます。症状ごとにその原因やメカニズム、関連する病気などを紹介し、それぞれの病気について早期発見のポイント、予防の基礎知識などを専門医が解説します。
全国の済生会では初期臨床研修医・専攻医・常勤医師、看護師、専門職、事務職や看護学生を募集しています。医療・保健・福祉にかかわる幅広い領域において、地域に密着した現場で活躍できます。
一般の方の心身の健康や暮らしの役に立つ情報を発信中。「症状別病気解説」をはじめとして、特集記事や家族で楽しめる動画など、さまざまなコンテンツを展開しています。
私の好きな散歩コースに東京都と神奈川県の県境を流れる多摩川を見下ろす東京都世田谷区にある玉川台という高台がある。以前、読売巨人軍の2軍グランドが麓にあった。原始時代の遺跡が発掘されたり、古代の古墳が残っている。常緑樹が生い茂り、歩いて清々しい。
6月になると待ちわびていたかのように紫陽花が一斉に咲く。長期間続く梅雨の憂鬱さを和らげてくれる。土の酸性度に応じて花の色は、青色を増したり、赤くなったりする。紫陽花は、長い間楽しめる花である。
同じ世田谷区にある太子堂近辺も私の散歩コースである。太子堂は、聖徳太子像が安置されている寺院があることに由来する。大正時代、この近くに作家の林芙美子が貧困時代に居住していた。粗末な2軒長屋の借家だった。無名時代の困窮さが想像できる。
47歳という流行作家としての最盛期に若死にする。貧困時代にぼろぼろになった心身が影響したのか。作家として経済的に豊かになってから、若いころの貧しさを埋め合わせるかのように美食を楽しんだ。むしろこの方の要素が大きかったのではないだろうか。
「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」は、林芙美子が色紙に好んで書いた有名な文である。どんな花をイメージしたのだろうか。放浪の旅先で見た路傍の花だろうか。日本人は、人生を花と重ね合わせる。
私の3歳上の姉は、がんで若くして亡くなった。長期間がんと闘っていた姉は、生前、無理をしつつも東京都江東区にある亀戸天神の藤棚を満開時に訪れた。「あの花は、本当に美しかった」と空(くう)を見ながら、病床でつぶやいた。深い紫色の藤の花に自分の歩んで来た人生を映したのだろうか。
紫陽花の季節が去って久しい7月に玉川台を登ると、毎年、紫陽花の花は、夏の陽ざしを受けながら、すっかり萎(しな)びれつつも残っている。前月にはあれほどたくさんの人の称賛を受けた花は、色があせ、周囲の芥(あくた)を凝集させたかのように汚れている。道行く人は、「早く散ってしまえばいいのに」と冷淡な視線を浴びせる。
しかし、辛抱強く残る紫陽花の花は、老い特有の侘(わ)びの美しさを私に与えてくれる。
1946年富山県高岡市生まれ。69年東京大学法学部卒業、厚生省に入る。自治省、総務庁、在英日本大使館、厚生省社会・援護局長などを経て2003年環境事務次官に就任。08年5月から済生会理事長。現在、日本障害者リハビリテーション協会会長、富山国際大学客員教授なども務めている。著書に「環境福祉学の理論と実践」(編著)「社会福祉の原理と課題」など多数。