第163回 ラジオの世代
今春からNHK第2放送がなくなった。中学生時代からNHK第2放送で午前6時45分に始まる「NHKラジオ英会話」を聴いてきた。今はNHK FMに引き継がれ、放送しているけれど、何か寂しい気持ちになる。
テレビが普及する前の娯楽の中心は、ラジオだった。「NHKのど自慢」や「二十の扉」は人気番組で、家族はそろって耳を傾けた。いつも家族の団欒の中心にあった。
夕方には連続ラジオドラマ「笛吹童子」や「紅孔雀」が放送された。小学校2、3年生だった私は、毎日聴くのが楽しみだった。3歳上の姉が一緒に横にいた。
私の家に1台あったビクターの古いラジオから聴こえる音声は、時々雑音が混じったが、ワクワク、ドキドキしながら聴いた。ストーリーは忘れたが、「ヒャラーリヒャラリコ」で始まる歌は思い出す。
音だけから人物や情景を想像しながら、話の展開を追った。語彙力や想像力を強化するのに役立ったに違いない。次の時代に登場するテレビやインターネットとの大きな違いである。
孤独な大学受験勉強に集中していた時は、ラジオだけが楽しみだった。そのころはナショナル(当時)の携帯ラジオに代わっていた。旺文社の大学受験ラジオ講座は、1年間通して聴いたが、大変役立った。
受験のための知識というよりも夜間一人で机に向かう私にとって講座の講師は、いつも温かく励ましてくれる存在だった。
午前0時を回ったころから民放ではディスクジョッキーによる音楽番組が組まれていた。若者向けで当時、深夜放送絶頂期だった。単調な受験勉強には大きな慰めになり、勉強を終える午前2時ごろまでの伴走者だった。
深夜放送は、バックグラウンドミュージックのようで勉強の邪魔にはならなかった。工場での仕事や車の運転でラジオを聴くのと同じ感覚である。歩きスマホのようにスマホの「ながら族」は危険だが、この点ラジオは、問題を生じない。
社会の娯楽や交流の媒介では、今では完全にネットの時代になった。AIと会話をし、相談をする。大変便利で必需品である。
しかし、ラジオで育った私には、押し付けがましくなく、「いつでも切って休んでもよいよ」というラジオのやさしさが堪らない。
すみたに・しげる
1946年富山県高岡市生まれ。69年東京大学法学部卒業、厚生省に入る。自治省、総務庁、在英日本大使館、厚生省社会・援護局長などを経て2003年環境事務次官に就任。08年5月から済生会理事長。現在、日本障害者リハビリテーション協会会長、富山国際大学客員教授なども務めている。著書に「環境福祉学の理論と実践」(編著)「社会福祉の原理と課題」など多数。
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