社会福祉法人 恩賜財団 済生会(しゃかいふくしほうじん おんしざいだん さいせいかい)
済生春秋 saiseishunju

2013.04.12 第3回 記憶の中のサッチャー

 2013年4月8日、イギリスの元首相マーガレット・サッチャーが死去した。彼女の業績を絶賛する人もいれば、酷評する人もいる。そこが逆に、サッチャーが歴史に残した足跡の偉大さの表れである。

 私は、サッチャー政権前期の1981年から1984年まで、在英日本大使館一等書記官として勤務した。彼女が率いた保守党に関する情報収集・分析が私の仕事だった。私にとってニ度と経験することのできない機会であり、政治権力闘争などを生きた教材で学べた。

 1981年ごろのサッチャーの政治状況は、厳しかった。サッチャーリズムに基づく政策効果は表れてこなかった。失業者数は300万人を超えた。オフィスビルには空きが目立ち、デモやストライキが多発した。彼女の政権運営に批判が集中した。
 こんな状態でも彼女は微動だにしなかった。私は「どうしてあんなにがんばれるのかなあ」といつも不思議だった。国内の政治情勢を一変させたのが、1982年春のフォークランド紛争の勝利だった。

 毎年秋の保守党大会は、保養地であるブライトンとブラックプールで交互に開催され、私は傍聴に出かけた。そこで富士銀行ロンドン支店(当時)勤務の黒田啓征さんと毎回顔を合わせた。フォークランド紛争勝利後の大会での彼女の演説は、昂揚感に満ちていた。
 サッチャー政権は「小さな政府」を志向し、個人の自立を基本にした。私の専門である社会保障政策も同様だったことから、私にとっては絶好の研究対象となった。おかげで論文を50以上発表することができた。

 また、サッチャーは所得保障では公的年金よりも、企業年金や個人年金に重点を移す大胆な改革を実施した。彼女にとって医療や福祉分野の非効率性や非生産性は、我慢ができなかったに違いない。しかし、大胆な改革を完成させることなく政権から去った。これがイギリスの医療や福祉の特色である。国民が一刀両断の改革を拒否し、あのサッチャーでさえ諦めざるを得なかったのだ。
 国民に支持された医療や福祉の政策は、極めて強靭なのである。

炭谷 茂

すみたに・しげる

1946年富山県高岡市生まれ。69年東京大学法学部卒業、厚生省に入る。自治省、総務庁、在英日本大使館、厚生省社会・援護局長などを経て2003年環境事務次官に就任。08年5月から済生会理事長。現在、日本障害者リハビリテーション協会会長、富山国際大学客員教授なども務めている。著書に「環境福祉学の理論と実践」(編著)「社会福祉の原理と課題」など多数。