済生会は、明治天皇が医療によって生活困窮者を救済しようと明治44(1911)年に設立しました。100年以上にわたる活動をふまえ、日本最大の社会福祉法人として全職員約64,000人が40都道府県で医療・保健・福祉活動を展開しています。
済生会は、405施設・437事業を運営し、66,000人が働く、日本最大の社会福祉法人です。全国の施設が連携し、ソーシャルインクルージョンの推進、最新の医療による地域貢献、医療と福祉のシームレスなサービス提供などに取り組んでいます。
主な症状やからだの部位・特徴、キーワード、病名から病気を調べることができます。症状ごとにその原因やメカニズム、関連する病気などを紹介し、それぞれの病気について早期発見のポイント、予防の基礎知識などを専門医が解説します。
全国の済生会では初期臨床研修医・専攻医・常勤医師、看護師、専門職、事務職や看護学生を募集しています。医療・保健・福祉にかかわる幅広い領域において、地域に密着した現場で活躍できます。
一般の方の心身の健康や暮らしの役に立つ情報を発信中。「症状別病気解説」をはじめとして、特集記事や家族で楽しめる動画など、さまざまなコンテンツを展開しています。
東日本大震災の後、山形県の特別養護老人ホーム愛日荘に避難された方の中に、一人のおばあちゃんがいます。 震災当時97歳の宮城県石巻市の髙橋初恵さんです。現在、100歳です。
初恵さんは、石巻市の老人ホームにいるときに被災されました。ご長男夫婦も石巻に住んでいましたが、津波に流され帰らぬ人となってしまいました。
この時、初恵さんは、既に認知症を患っていたため、なぜ自分が山形にいるのか理解できません。一日に何度も「石巻に帰りたいの、連れて行って! お願いだから~!」と涙ながらに訴えます。でも、実家も流されてしまい、帰っても瓦礫の山しかありません。「戻ってもショックを受けるかもしれない」と周囲は話をそらすようにしていました。
昨年の8月、ようやく、初恵さんの帰省がかないました。宮城県仙台市に住む次男夫婦と職員がもう一度故郷を見せてあげたいと話し合い一時帰省を決断、共に施設のリフトバスで愛日荘を出発しました。石巻まで120km、片道3時間半もの長旅ですが、初恵さんは疲れる様子もありませんでした。
愛日荘には海はありません。石巻に近づくと潮の香りが強くなります。初恵さんは、潮風をうけ、懐かしい街並みや商店街を安堵の表情で眺めていました。23年前に亡くなられたご主人が働いていた建物が近くに見えると「毎日お弁当を届けたの」と思い出深げに語っていました。
今、初恵さんは、終末期ケアを受けています。おそらく石巻には帰れず、施設で看取ることになります。
「帰りたいの~」。訴えは今でも続いています。でも「また行こうね」と答えると、興奮から落ち着くのも早くなりました。
済生記者 髙橋 睦