済生会は、明治天皇が医療によって生活困窮者を救済しようと明治44(1911)年に設立しました。100年以上にわたる活動をふまえ、日本最大の社会福祉法人として全職員約64,000人が40都道府県で医療・保健・福祉活動を展開しています。
済生会は、405施設・437事業を運営し、66,000人が働く、日本最大の社会福祉法人です。全国の施設が連携し、ソーシャルインクルージョンの推進、最新の医療による地域貢献、医療と福祉のシームレスなサービス提供などに取り組んでいます。
主な症状やからだの部位・特徴、キーワード、病名から病気を調べることができます。症状ごとにその原因やメカニズム、関連する病気などを紹介し、それぞれの病気について早期発見のポイント、予防の基礎知識などを専門医が解説します。
全国の済生会では初期臨床研修医・専攻医・常勤医師、看護師、専門職、事務職や看護学生を募集しています。医療・保健・福祉にかかわる幅広い領域において、地域に密着した現場で活躍できます。
一般の方の心身の健康や暮らしの役に立つ情報を発信中。「症状別病気解説」をはじめとして、特集記事や家族で楽しめる動画など、さまざまなコンテンツを展開しています。
済生会の有馬朗人(ありま・あきと)会長が6日、死去しました。90歳でした。
有馬会長は1930(昭和5)年、大阪市生まれ。東京大学理学部を卒業、同学部教授、89~93年には同大総長(学長)を務めました。98年7月の参院選で初当選し、小渕内閣で文部大臣に就任。後に科学技術庁長官も兼任しました。
原子核物理学の研究で知られ、93年に米国物理学会の「ボナー賞」を日本人で初めて受賞。同年、日本学士院賞を受け、2010年には文化勲章を受章しました。
理系の専門家であると同時に俳人としても著名で、学生時代に俳誌「ホトトギス」に入選し、高浜虚子の弟子・山口青邨(せいそん)に師事。句会「天為」を主宰し、18年には俳句の世界で最も権威があるとされる蛇笏(だこつ)賞を受賞しています。生前、「物理と俳句は両極端。両者が離れているから両立できたのでしょう」と語っていました。
2017(平成29)年4月には、済生会の会長に就任。1911(明治44)年に当時の桂太郎首相が初代会長に就いて以来、13代目の会長でした。
有馬会長の死去について済生会の炭谷茂理事長は「教育者、俳人、政治家、様々な分野で卓越した力を発揮された方で、医療・福祉分野で活動する本会でも貴重なご助言をいただきました。新型コロナ禍にあって、疲弊する現場の状況に心を砕いておられました。今はただ、ご冥福をお祈りするとともに、会長のご心配に応えられるよう、役職員一同、力を合わせてまいります」とコメントを発表しました。
広報室